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三十六計 ~攻戦計~

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兵法三十六計とは魏晋南北朝の時代に書かれた中国の兵法書です。日本でも有名な「三十六計逃げるに如かず」はこの三十六計から取られています。

三十六計敵戦計
三十六計 ~敵戦計~兵法三十六計とは魏晋南北朝の時代に書かれた中国の兵法書です。日本でも有名な「三十六計逃げるに如かず」はこの三十六計から取られています。 ...

三十六計の概要

兵馬俑兵馬俑

三十六計は中国の民間において広く流通し、日常の引用の題材としてもよく取り上げられ、
中国人の用兵の基本原則である「戦わずして勝つ」という原則がふんだんに盛り込まれています。本日はその中から「攻戦計」にあたる以下の六計について解説します。

攻戦計
  • 打草驚蛇
  • 借屍還魂
  • 調虎離山
  • 欲擒姑縦
  • 抛磚引玉
  • 擒賊擒王

三十六形における攻戦計の計略は以下の通りです。

打草驚蛇

打草驚蛇は、兵法三十六計の第十三計にあたる戦術であり、故事成句の一つでもあります。

読み下し文にすると草を打って蛇を脅かすとなります。三十六計では、草むらを叩いて蛇をあぶりだす。つまり敵を挑発して反応を探るという意味で使われます。

打草驚蛇の具体的事例

スエズ戦争の陽動作戦

1956年、エジプトがスエズ運河の国有化宣言をしたことを発端として、イギリス、フランス、イスラエルとエジプトの間でスエズ戦争が勃発しました。イギリスとフランスはまずスエズ運河周辺に空挺部隊を降下させました。

エジプト軍はこれを全力で迎え撃ちます。実は空挺部隊はすべて人形等の囮であり、エジプト軍は防御陣地などのてのうちをイギリス側に晒してしまいました。軍の配置や布陣を把握したイギリス軍はエジプト軍を一網打尽に粉砕しつつ、見事本体の降下作戦を成功させました。

借屍還魂

借屍還魂は兵法三十六計の第十四計にあたる戦術であり、既に滅んだものを持ち出して大義名分にしたてる計略です。つまりは利用できるものは何でも利用し勢力の拡大を図るということです。

借屍還魂の由来は、中国で有名な八仙の一人鉄拐李の伝説によります。鉄拐李はもともと仙人でしたが幽体離脱をしている間に彼が死んでしまったと勘違いした弟子に体を焼かれてしまいます。鉄拐李は仕方なく片足が不自由な別の死体に魂を宿られて復活したという話がもとになっています。

モンゴル軍は先の戦いで捕虜を捕らえたら、その捕虜たちに濠を埋めさせたり、先兵を務めさせたりし次の戦いの人材として有利活用しようとしました。また野戦においては、捕虜を先兵隊として最前線に送り込み、敵兵との乱戦が発生したら、捕虜と敵兵とを一緒に弓矢で射殺すという戦術も借屍還魂として有効な戦術です。

借屍還魂の具体的事例

項羽の躍進

項羽と項梁が秦に対して反乱軍を起こした時、彼らの軍師である范増は、項梁に、「あなた方が挙兵した際多くの人が付き従ったのは、あなた方が楚の名族であるが故、楚を再考してくれると多くの人が望んだからです、それをわすれることなきように」と進言しました。

これを聴いた項梁は、羊飼いになっていた楚王の孫を擁立し、彼を楚王に擁立し、咸陽方面に進撃しました。

曹操による献帝の擁立

後漢末期から三国時代にかけて魏朝の礎を築いた曹操、彼は地縁と血縁と親族の蓄えだけを元に乱世に登場し、華北に一大勢力を構築することに成功しました。

彼が中原を抑えるにあたり打った重要な布石が、後漢の皇帝献帝を自分の本拠である許昌に迎え入れることでした。彼は献帝を傀儡としていただくことで勅命として諸侯に号令できるようになり、権威を確固たるものとしました。曹操は権力を手に入れつつも、自らは皇帝とならず、漢の丞相、そして魏王として生涯を終えました。

満族による中華の支配

李自成による反乱で明は滅亡し、李自成を妥当するという名目を得て満州族は中原に進出しました。李自成にせめられ自殺した明の最後の皇帝崇禎帝の陵墓を祭り、明を継承する朝廷であることを天下に知らしめることにより、中華の皇帝として、満州族は中華世界を支配するに至りました。明の権威を継承するという大義名分も借屍還魂の一例として認識ます。

満州国建国

満州国を建国し自国の領土である朝鮮半島とソ連との間の緩衝地帯を作り、そこで資源も獲得しようともくろんだ日本帝国。中国東北部を自身の勢力圏に置きながら、そこを独立国として見せかけるために清のラストエンペラーである愛新覚羅溥儀を擁立しました。

そして満州族の故地として、五族協和の王道楽土建設というスローガンのもと傀儡政権を作ったというストーリーも借屍還魂の一例です。

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調虎離山

調虎離山は兵法三十六計の第十五計にあたる戦術で、虎を山から離すという意味の戦略です。自然条件に恵まれたところ(要害)にいる虎(敵)をそこからおびき出し退治するという意味です。虎を山からおびき出すには餌を撒いたり、陽動掛けるなどひと手間かける必要があります。

調虎離山の具体的事例

背水の陣

劉邦の武将韓信は井陘の戦いで川を背後に布陣するという兵法の常道を逸した行動を起こしました。これが世に有名な背水の陣です。

退路は無いと兵士に思わせ、必死に戦わせるという意味で使われますが実は排水の陣とは、川を背後に布陣することにより兵士を必死に戦わせ、その隙に別動隊が趙の城を攻略し勝利を収めるという計算のうちに成り立つものです。

背水の陣を敷くことで趙の軍を砦から引き離して野戦に持ち込んみ、砦を空にさせそこを攻め落とすと言うのが韓信の背水の陣の本当の全体像です。

欲擒姑縦

欲擒姑縦は兵法三十六計の第十六計にあたる戦術で、捕らえることを欲すならまずは逃がせ、という意味の戦略です。

人間も動物も逃げ道を完全に防ぐと必死に抵抗します。たとえネズミでも猫を噛むかの如く必死になるため、危うく大損害を受ける可能性が高まります。

敵にわざと逃げ道を開けてあげることにより、敵はそこから必死で逃げようとし相手は総崩れになりながら勢力は減衰します。力を失わせてからゆっくり料理すればこちらの損害も少なく敵を制することができます。

欲擒姑縦の具体的事例

孟獲を服従させた諸葛亮

姑縦は敵を補足しつつ追い詰めないという意味です。これを活用し、南蛮王孟獲を心服させたのは蜀の宰相の諸葛亮です。諸葛亮は、南方征伐の際、南蛮王孟獲を7度捕らましが7度放しました。7度目に逃された時にはついに孟獲は蜀に従うことに心に誓いました。

敵の逃げ場を封じて包囲殲滅することはコストを掛ければすることはできますが、恨みをかったり、禍根を残したりすることがあります。ただし、敵を逃がすにはそれなりの目的がある場合に限られます。例えばわざと逃がして本拠をあぶりだしたりする場合です。そのような場合以外にはむやみやたらに敵を放すのは良いことではありません。

抛磚引玉

抛磚引玉は、兵法三十六計の第十七計にあたる戦術で読み下し文では、「磚(レンガ)を抛げて(投げて)、玉を引き抜く」となります。日本語で言うと「エビで鯛を釣る」という諺と同じことで、相手がほしそうなものを投げて、飛びついてきたものを撃滅するという戦略です。

抛磚引玉の具体的事例

楚による絞の攻撃

春秋時代、楚が絞という国を攻めたとき、絞は籠城をしました。そこで屈瑕という楚の将軍は、兵士を樵に変装させて絞の山から木を伐り出させるようにすれば、敵を城からおびき出せると検索します。

しばらく樵を繰り出しながら捕縛させ、連日それを繰り返していたところ、絞は6日目にして大軍を城外に出し打って出てきました。楚はこの機会を逃さず、城内に侵入し、敵を降伏させることに成功しました。

擒賊擒王

擒賊擒王は、三十六計の第十八計であり、敵に勝ちたければ、その王をを捕らえるべきであるという意味です。戦闘や衝突で勝利をしたければ、まずはその主力、特に指揮官や中心人物を捕らえれば、敵を弱体化できるということです。そうすれば労少なくして多大な功績をえることができます。

擒賊擒王の由来は、杜甫の「射人先射馬 擒敵先擒王」(人を射ようとすればまず馬を射よ、敵を擒えようとすればまず王を擒えよ)というところが出所です。本来の意味は、敵を捕らえるならまず王を捉えよ、そして指揮官を捉えられないならその手足となっている人間を捉えよという意味でもあります。

擒賊擒王の具体的事例

呂布と曹操

濮陽に立てこもっていた呂布を攻めた曹操は、城内からきた内通者の手引きを信じ、暗闇に紛れて東門に集結しました。その途端城内から呂布の軍が打って出てきました。曹操軍はさんざんに蹴散らされながら、たちまち曹操は呂布軍に囲まれます。

呂布の軍勢から「曹操はどこだ?」と問われた曹操は「あの黄色い馬にまたがっているのが曹操です」と回答したため呂布軍はその騎馬を追っていき、曹操はその隙に難を逃れました。呂布も戦の早期終結を狙い、相手の主将を捉えようと必死になっていたのでした。

現代の戦術でも相手の首謀者の居所を掴み、そこを強襲すれば紛争を早期に収束することが可能です。アフガニスタンやイラクの紛争でもアメリカは首謀者の居所を突き止めるため密偵を送り、軍事衛星を活用して情報収集に努めていました。

攻戦計のまとめ

万里の長城万里の長城

今回は、兵法三十六計から攻戦計にあたる六計を紹介しました。温故知新と言うように中国人は古きものから新しい知恵を知ることに長けています。戦略は兵法は、何も突撃し、衝突し、敵をせん滅することだけではありません。

いかに要領よく敵を翻弄し、労少なくして功多き状態に持ってくるかがキーポイントになります。皆さんも中華文明の知恵を参考に生活や処世術に生かしてみてはいかがでしょうか。

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