本日は、形意拳を伝承し、半歩崩拳、あまねく天下を打つと言われた名人、郭雲深という人物について解説します。
郭雲深とは
郭雲深(1829年-1900年)は、中国の武術家であり 諱は峪生、字を雲深といいます。
直隸省深県出身であり、李洛能門下の八大弟子の1人とされています。
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生い立ち
郭雲深は幼いことから武術を好み、馮譽彰という師から長拳を学び、孫立亭から八極拳を学んでいました。はじめ郭雲深は、同郷の河北派形意拳の開祖である李絡能に入門を願いましたが、李洛能はかれの剛直すぎる性格を嫌い教えようとはしませんでした。
ですが、郭雲深はそこであきらめず、李の練習を盗み見、形意拳の「崩拳」を覚え、3年間ひたすら訓練を積みました。やがて李洛能はは、郭雲深の真摯な意志をくみ取りをついに彼への伝授を許したといいます。
郭雲深は、形意拳の神髄を得たあと山東、河北、河南等を遊歴し技芸を磨きました。
郭雲深に関する言い伝え
郭雲深は北京で八卦掌の創始者董海川と比武を行って勝負がつかなかったという言い伝えがあります。またこれにて、八卦、形意がお互いに弟子を交換する習慣が生まれ、長所と短所を補い合うことが始まったともいわれます。
郭雲深は比武では半歩進んで崩拳の技を用い、決して敗れることがなかったため、人々から「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と謳われました。後年、郭雲深は匪賊を打ち倒してしまうことがあり、その時、命まで殺めてしまったために3年間牢獄につながれたこともあったと言います。出獄の日、深県の知事に、「あなたの拳は衰えたのか」と問われると、「滅びず」と回答し、壁を打つと壁は崩れてしまいました。
貢献とその影響
郭雲深は形意拳の半歩崩拳を創立し、その基本構造を確定させました。また郭雲深は各地に拳を求め、師と交わりました。もっとも有名な者は、車永宏と宋世榮です。
郭雲深はまた自分が得たものを惜しまずに、多くの者に技芸を指導しました。劉奇蘭門下の李存義、李存義の弟子尚雲祥、李奎垣門下の孫祿堂も郭雲深の指導を受けています。
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郭雲深の継承者たち
郭雲深の弟子には、李魁元、錢硯堂、郭深、郭圓、許占鰲、魏老率、李振山等がおり、意拳を創始した王向斉、孫式太極拳を創始した孫禄堂「半歩崩拳」の呼び名を継承した尚雲祥なども郭雲深から教えを受けています。
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まとめ
郭雲深は河北派形意拳の功夫を天下に轟かせた名人であり、後世内家拳を普及させることになる弟子たちを多く育てた近代中国武術史における名人の一人です。技芸をつきつめ、精を込める、この心意気を我々も見習う必要があります。
当記事を作成するに当たり、以下の書籍を参考にしております。もし興味があれば参照ください。
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