兵法三十六計とは魏晋南北朝の時代に書かれた中国の兵法書です。日本でも有名な「三十六計逃げるに如かず」はこの三十六計から取られています。
目次
三十六計の概要
三十六計は中国の民間において広く流通し、日常の引用の題材としてもよく取り上げられ、
中国人の用兵の基本原則である「戦わずして勝つ」という原則がふんだんに盛り込まれています。
本日はその中から「敗戦計」にあたる以下の六計について解説します。
- 美人計
- 空城計
- 反間計
- 苦肉計
- 連環計
- 走為上
三十六計における敗戦計の計略は以下の通りです。
美人計
美人計は兵法三十六計の第三十一計にあたる戦術で、色仕掛けで相手の戦意を削いだり、美人を献上しそこから大事な情報を得たりする戦略です。一般的に弱者が強者の勢いを弱めるために使う戦略です。傾国の美女を敵の王に献じることにより、まさに国が傾いたということは過去の歴史を振り返れば事例に事欠きません。
美人計の具体的事例
句践と西施
春秋時代末期、呉に敗れ屈辱的な条約を結ぶことになった越王の句践は臥薪嘗胆にて将来の戒めとしていました。そして呉に復讐するための政策の一環として女を使って呉の夫差を骨抜きにしようと考えました。
句践はまず国中にお触れをだし、美女を求め西施と言う養女を見つけることができました。そして彼女を都に呼び寄せ化粧、服の着方、歩き方、所作までの修行を3年にもわたって施しました。
それから西施は呉に贈られて夫差に目通りさせたところ、夫差は一目で彼女を気に入り側室の列に入れてとても可愛がりました。この「美人の計」にはまった夫差は、徐々に句践に対する警戒を解き、とうとう呉は越に滅ぼされてしまいました。
空城計
空城計は兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術で味方の守りが手薄な時、あえて自分の陣地を無防備であるかのように見せかけて敵の警戒心を誘う戦略の事です。
空城の計は見方が圧倒的に劣勢で挽回の見通しが立たない時、わざと無防備に見せかけて敵の判断を惑わす作戦です。この作戦は敵に勝利することが目的ではなく、挽回する時間的猶予を稼ぐための方法論です。
空城計の具体的事例
諸葛亮の空城計
蜀の諸葛亮が野戦で魏に敗れたときの事でした。蜀は魏と比べて軍勢が圧倒的に劣勢でした。一計を案じた諸葛亮は、城門を開け、兵士に良民の服を着せ、自分は香を焚き楼門で琴を奏で始めました。
これを見た魏軍は城門まで来て首を傾げしげしげを引き返しました。当時の状況から空城計はあり得ない話ですが、常に万事慎重な用兵をしてきた諸葛亮であるからこそ敵が警戒したという背景があることを認識する必要があります。また魏方の将は司馬懿でありこれまた用心深い性格の持ち主。この二人の腹の探り合いによるところがこの話の面白いところです。
吐蕃の瓜州攻撃
唐代、吐蕃は河西にある瓜州を攻撃してきました。張守珪は瓜州城を修復しようとしましたが修復を終える前にまた吐蕃軍が襲撃してきました。どうする手立てもなくなった張守珪は、城上で兵士にどんちゃん騒ぎの宴席を設けました。吐蕃は城内にきっと伏兵がいるに違いないとおもい攻めずに引き返しました。
徳川家康の浜松城籠城
徳川家康は三方ヶ原の戦いで武田軍に大敗を喫し、壊滅状態で浜松城に逃げ帰りました。徳川家康は大手門を開くように命じ、篝火を焚き、太鼓を叩かせました。これを警戒した武田軍は兵を引き上げ、浜松城はかろうじて落城をま逃れました。
反間計
反間計は兵法三十六計の第三十三計にあたる戦術で、敵を疑心暗鬼に陥れる戦略です。具体的に有効な方法としては、敵の内通者を利用したり、敵からのスパイを逆に利用して偽の情報を流すことが最も有効です。これによって相手を惑わせたり、敵の内部に分裂を起こさせたりして敵の内部崩壊を誘います。
反間計の具体的事例
岳飛の反間計
宋の将軍岳飛が賊の討伐を命じられた時のことです。賊の首領の曹成がなかなか命令に服さず、討伐に出たときのこと、岳飛の軍はたまたま賊の諜報員を捉えました。
そして、さりげなく、諜報員に軍の食料がつきかけているという嘘の情報を流し、その後諜報員を逃がしました。その後、その諜報員が賊のほうに帰着したタイミングを見計らい、食料を準備し、谷あいの道を進み、夜明け前に賊の陣地に押し寄せさんざんに打ち破りました。
苦肉計
苦肉計とは、兵法三十六計の第三十四計にあたる戦術で、人間はわざと自分を傷つけることはないという心理を逆手に取り、自分を傷つけることにより人からされたかのように信じ込ませる計略です。
わが身を痛みつけて敵を信用させる計略です。それを実現するには味方まで信用させる遠謀深慮が必要です。
苦肉計の具体的事例
黄蓋の偽計(フィクション)
苦肉計で最も有名なのが、三国志演義の赤壁の戦いで行われたという黄蓋による苦肉の策です。
曹操の大軍が南方に攻め寄せた際、劉備、孫権軍は圧倒的劣勢でした。これを打開する策は無いという黄蓋を周瑜は兵卒の面前でむち打ちの刑にします。これにより重傷を負った黄蓋は周瑜に恨みを持ち、曹操軍に投降を申し出ます。
この一連の出来事は曹操側の間者によりすべて曹操に報告されており、これにより黄蓋の投稿を受け入れることにした。だがこの偽装投降に際し、黄蓋は曹操方の船団に放火をすることに成功し曹操軍は壊滅に北方に逃げ帰った、と言うことになっています。
苦肉の策という言葉は、現在は苦し紛れの策と言う意味として使われますが、もともと苦し紛れという意味はなく、自分が傷つくことで敵を信用させるという意味の戦略です。
連環計
連環計は、中国の兵法書に挙げられる兵法の第三十五計に当たる戦略です。正面から戦いを挑まず、複数の計略を組み合わせ敵同士をけん制させたりして勢力を弱めたり、複数の勢力を謀略で足の引っ張り合いをさせるという戦術です。
連環の計とは敵と敵の敵がいがみ合い、足を引っ張り合わせ、疲弊させたり、2つ以上の計略を組み合わせることにより消耗させ壊滅させる戦略です。
連環計の具体的事例
畢再遇の金軍撃滅
南宋の将軍、畢再遇は金との戦いで巧みな撤退と攻撃を繰り返し、敵を疲弊させ、相手の疲れを誘いました。彼は予め香料をたっぷりつけて煮た黒豆を撒いて置き、誘いの戦いを仕掛けわざと負けたふりをして敵を誘い込みました。連日の進撃で空腹の金軍の馬たちは、黒豆を食べ始めいうことを聞かなくなり、そこをついて反撃を行い金軍に勝利しました。
王允による董卓暗殺
後漢の王允は、献帝を擁立し都で横暴を極める董卓を謀殺するため「連環計」を使いました。まず養女の貂蝉を、呂布と董卓に送り込み虜にし、その後二人に貂蝉を巡る仲違いを発生させ呂布に董卓を殺害させました。美人計と離間計を連環させたことで連環計と言われます。
龐統による赤壁の計略
孫権・劉備連合軍は曹操の大船団を火攻めにするため作戦を講じていましたが、風向きの問題もありなかなか具体的な作戦が立てられずにいました。劉備の軍師の龐統が曹操側に潜り込んで船酔い対策として軍船同士を鎖でつなげることを進言しました。
これにより、曹操の船団がばらばらにならないようにさせてから、黄蓋が降伏すると見せかけて船団に火をつけ曹操を退けました。
走為上
走為上は兵法三十六計の第三十六計で戦いを避けるのが最善の策だという考え方です。南斉書の王敬則伝「敬則曰、『檀公三十六策、走是上計』」が三十六計逃げるに如かずの語源です。中国の兵法には当たって砕けろという考え方はありません。勝算がないときは戦わないというのが中国兵法の普遍的な認識です。
孫子には、兵力劣勢の時は退却し、勝算がなければ戦わない、呉子にも、有利と見たら戦い、不利と見たら退くことが肝要であると書かれています。
軍の指揮官には、情勢が不利と認識したときに損害を回避するために退却するという選択肢を冷静に判断できることが必要です。ただしこれはただ逃げるだけではなく、次の勝利のために備え反撃のチャンスを逃さないということまでが含まれた戦略です。
走為上の具体的事例
劉邦の戦略
漢楚戦争では始め、劉邦は項羽の精強な軍に勝てず押しまくられる戦局が続いていました。
劉邦は勝てない戦はせずできるだけ相手の主力を対決をしないようにしていました。そして項羽を回避しつつも補給路の確保、包囲網の完成を行い、最終的に勢力を優勢なところまで持って行きました。これは不利な戦いを避け続けたことによってもたらされたものでした。
蒋介石の抗日戦争の戦略
蒋介石は猛攻を加えてくる日本軍に対し常に決戦を避け勢力基盤を温存させることを優先にする方針を維持していました。北京陥落、続いて上海や国都南京が陥落しても降伏せず、首都を重慶に移し主力を温存しました。
日本軍は戦線が拡大したまま蒋介石の国府軍と泥沼の膠着戦に陥り、背後を共産党の八路軍や新四軍に脅かされるという状況となっていました。最終的に日本は、アメリカやイギリスとも戦争を開始したことで軍事力を中国方面だけに振り向けることができなくなり、1945年8月に無条件降伏し、蒋介石の国民政府は戦争に勝利し長い抗日戦争を乗り切りました。
毛沢東の八路軍
1945年、日本軍が降伏したことにより蒋介石の国民政府は本格的に中国共産党の掃討に乗り出しました。八路軍や新四軍は国府軍との正面衝突を避けながら、農村で都市を包囲するという作戦を打ち出し、鉱工業生産の先進地域であった東北三省の権益をソ連から譲り受ける形で勢力を拡大し、徐々に国民政府を追い詰めていきました。
幾度の戦役を経て国府軍は潰走し、華北の大部分を支配下に置いた毛沢東は1949年に北京で中華人民共和国の建国を宣言国府軍はその後もじりじりと勢力圏を南に押しやられ1950年には海南島からも撤退し、台湾島と福建省の離島に落ち着きました。ここで戦況は膠着状態となっており、現在もこの状態が続いています。
三十六計 敗戦計のまとめ
今回は兵法三十六計の三十一計から三十六計について解説しました。中国兵法は、有利であれば攻め、不利であれば戦いを避け衝突を行わないことを基本としています。当たって砕けてろという発想はありません。
逃げるを最上と為す、これを三十六計の締めくくりとしていることが、撤退を決断する重要性を表しています。人間社会では学校生活、仕事においても虚々実々の駆け引きが行われます。
その中で自分の状況をいかに有利に持ち込み、損害のリスクを減らし、利得を最大化するかは戦略をどう理解し運用するかによるところが大きいです。
「走為上」や「連環計」を参考にうまく活用し、現実の人生に生かしていただければと思います。
本日のブログが皆様の参考になれば幸いです。