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三十六計 ~戦勝計~

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兵法三十六計とは魏晋南北朝の時代に書かれた中国の兵法書です。日本でも有名な「三十六計逃げるに如かず」はこの三十六計から取られています。

三十六計の概要

兵馬俑兵馬俑

三十六計は中国の民間において広く流通し、日常の引用の題材としてもよく取り上げられ、中国人の用兵の基本原則である「戦わずして勝つ」という原則がふんだんに盛り込まれています。

本日はその中から「勝戦計」にあたる以下の六計について解説します。

三十六計略 戦勝計
  • 瞞天過海
  • 囲魏救趙
  • 借刀殺人
  • 以逸待労
  • 趁火打劫
  • 声東撃西

戦勝計

兵馬俑兵馬俑

兵法三十六形における計略は以下の通りです。

瞞天過海

三十六計の第一計に挙げられ、瞞天過海とは「天をあざむき海を渡る」という意味です。守りが万全であればそこに余裕と油断ができます。その余裕の中で生まれる油断のなかを、何食わぬ顔で堂々と敵を欺く計略を指します。

備え周ければ則ち意怠り、常に見れば則ち疑わず。陰は陽の内に在りて、陽の対には在らず。太陽、太陰なり。

備周則意怠、常見則不疑。陰在陽之内、不在陽之對。太陽、太陰。

これは、備えが周到なところでは帰って油断してしまう、陰は陽の中に存在するものであり、陽の対にあるのではないという考え方によります。なんども陽動作戦を行い、それに慣れさせて警戒心を解いておき、堂々と敵が油断をしている中を攻める計略です。

瞞天過海の具体的事例

太史慈の奇略

三国時代の時代、黄巾党に包囲されていた孔融は平原国に援軍を要請しようとしましたが、敵を防御陣を突破できないでいました。ここで以前孔融に恩義を受けたとされる太史慈という人物が孔融の陣に潜り込み、孔融と面会しました。

太史慈はまず自らが弓を持ち、黄巾党の前線前に赴き弓の練習を始め練習が終わると城内に戻りました。黄巾党は驚きましたが彼の行動がただの訓練であることを知り安心しました。

これを何日か繰り返していると黄巾党は次第にこれに慣れてしまい疑いを持たなくなってしまいました。ここで相手が油断したのを見計らい、城を出て囲みを突破し、見事平原国に援軍要請を伝えることができました。

賀若弼、陳を破る

隋の将軍の賀若弼は南朝の陳を破る際に瞞天過海の計略を活用しています。

隋は中国北方を支配し、陳は長江より南を領域としていました。隋が陳を攻めるには長江を渡河し攻め込む必要がありましたが賀若弼はこれに先立ち以下のような計略を使っています。

建業北岸に集結させた水軍を交代する際には歴陽という町の郊外に集めて旗をはためかせました。初め、陳軍はこれを見るたび敵軍の侵攻があるのではないかと防備を固めましたが何度かこれが繰り返されるうち備えを疎かにするようになりました。

賀若弼は数度これを繰り返し、陳軍が反応を示さなくなったのを見計らい長江を渡って建業を攻め落としました。

囲魏救趙

囲魏救趙とは魏を囲んで趙を救うという意味です。兵法三十六計の第二計にあたる戦術です。

共敵不如分敵 敵陽不如敵陰

敵を集中させるより、敵を分散させるよう仕向けるのがよい。敵の正面に攻撃を加えるよりも、敵の隠している弱点を攻撃するのがよい。という意味です。

囲魏救趙の具体的事例

孫臏の計略

戦国時代、魏の大軍が趙の都邯鄲を包囲した時の出来事です。趙は一国では対応できない事態となったため山東の強国である斉に助けを求めました。斉は田忌を将軍、孫臏を軍師として、援軍を編成しました。

斉の部隊は、いま魏の軍が取り囲んでいる趙の都邯鄲には向かわず、趙攻撃で手薄になっている魏の都大梁に向かいました。これを知った魏の包囲軍は急きょ包囲を解き魏に引き返しました。

斉はこの動きを予測し、桂陵で魏軍を待ち伏せして大勝利を収めました。

毛沢東の遊撃戦

囲魏救趙は毛沢東の得意とした戦略として有名です。

毛沢東は抗日戦争中、八路軍を使って遊撃戦を展開し、華北に進出した日本軍を苦しめました。八路軍は日本軍を取り囲んだり、自分の陣地に誘い込んでせん滅したり、背後から攻撃したり待ち伏せしたり、様々な方法で日本軍を分散させ、翻弄し戦争の主導権を握りました。

借刀殺人

借刀殺人は刀を借りて人を殺す、つまり人のふんどしで相撲を取ることです。兵法三十六計の第三計に当たります。

原文は以下の通りです。

敵已明、友未定、引友殺敵、不自出力、以損推演。

敵が我に対して攻撃意図を明らかにしたとき、友軍がまだどう動くかを決定してないならば、友軍を誘いこんで敵を攻撃させること。こうすれば自分は労力を払う必要がない。という意味です。

借刀殺人の具体的事例

曹操の関羽攻め

劉備軍の関羽が樊城を包囲したときのこと、曹操軍は許昌の放棄を検討するほど追い詰められていました。

そこで曹操軍の司馬懿は、孫権の力を利用することでこの局面を打開することを曹操に献策します。荊州から劉備の勢力を排除することを望んでいた孫権軍は曹操軍の申し出を受け入れ、江陵を攻略。関羽は樊城を撤退しましたが孫権軍に捉えられ斬首されます。

荘公の鄶攻略

鄭の荘公が、小国の鄶を攻略しようとしたとき、まずは鄶の臣下のうち勇猛な者、優秀な者の氏名を書き連ね、彼らへの密約書を作成ました。そしてそれらを鄶の門外につくった祭壇の地下に埋め、誓約が行われたかのように見せかけました。これをみた鄶の君主は誓約書に名前のある者をことごとく処罰しました。荘公はすかさず鄶を攻め滅ぼすことに成功しました。

以逸待労

以逸待労は、守りを固め相手が疲れるのを待つという戦略です。兵法三十六計の第四計にあたります。

原文は以下の通りです。

困敵之勢、不以戦、損剛益柔。

敵の勢いを衰えさせ枯れさせるには、戦闘そのものではなく、損剛益柔によるのである。

以逸待労の具体的事例

陸遜の用兵

三国時代、関羽が討たれたことを知った劉備は自ら軍を従えて孫権の勢力圏に大軍を送り込みました。陸遜は進撃する劉備軍をすぐには迎え撃たず、半年も平野に布陣させたままとし、劉備軍の疲れをまって大反撃をし、劉備軍を打ち破りました。

第二次世界大戦において蒋介石が率いる重慶国民政府は日本軍との決戦を避け、日本軍を中国大陸奥地まで引き込み泥沼の膠着戦に持ち込むことに成功しました。日本軍の兵站が伸びきり、アメリカとの開戦による戦力の引き抜きによる弱体化と日本の劣勢を見込み決戦を避けることにより、100万といわれた支那派遣軍から勝利を得ました。

趁火打劫

趁火打劫(ちんかだこう)は、火につけこんで押し込みを働くという意味です。兵法三十六計の第五計に当たります。

原文は以下の通りです。

敵之害大、就勢取利、剛決柔也

敵が被害を受けている時はそれにつけこんで利益をかすめ取るという意味です。敵が困難な状況に陥っている時、それに乗じて畳みかける計略です。つまりは火事場泥棒を行っていこうということです。

趁火打劫の具体的事例

劉邦の戦略

楚漢戦争で有名な項羽と劉邦。二人は始皇帝が崩御してから天下を争うわけですが、初めは軍事力に勝る項羽が圧倒的優勢を誇っていました。ですが2年3年とたつにつれて劉邦の軍が勢力を盛り返し、逆に項羽の軍が追い込まれていきます。

軍に疲労の色が強い劉邦が項羽に停戦を申し出、これに乗った項羽は直ちに兵を楚に引き上げました。劉邦もどうように一度兵を引こうとしましたが、張良はいまこそ項羽を打つ絶好の機会であると進言しました。劉邦は万全の手はずを整え項羽を追撃し、項羽を攻め滅ぼすことに成功しました。

声東撃西

声東撃西は東を討つと見せかけて西を打つという意味の兵法三十六計の第六計にあたる戦術です。

東を討つと声を発し、そちらを攻めるとみせかけ、実際には西を攻めるという陽動戦術です。この戦略を成功させるには、敵の指揮官が無能で、統制が乱れている状況が必要です。
敵に有能な指揮官がいたり、統制が行き届いている場合は、まず有能な指揮官を骨抜きにしたり、士気を乱すなど対策が必要です。

原文は以下の通りです。

敵志乱萃、不虞、坤下兌上之象、利其不自主而取之

敵の士気が乱れている時は、沢地の象と同じであり、統制を失っている隙に乗じて勝利を収める必要がある。

声東撃西の具体的事例

官渡の戦いの曹操

曹操と袁尚が対決した「官渡の戦い」では、袁尚は曹操の本拠許昌を攻めるため、曹操の前線基地の白馬を包囲しました。勢力劣勢な曹操は袁尚とまともに戦っては勝ち目がありません。曹操は、まず延津というところに進撃し、黄河をわたって敵の背後に回り込むそぶりをみせます。

袁尚はこれに呼応して兵を曹操軍に向けましたが、曹操はこれを見届けたあと軍を白馬に急行させ白馬を包囲していた袁尚軍を打ち破っています。

ドイツ軍で考案された、防御陣営が堅く構築されたフランスの国境線を迂回し、ベルギーからフランスに侵攻する計画、シェリーフェンプランや、毛沢東率いる中共軍の遊撃戦なども声東撃西の概念に包括される戦術です。

スポーツでのフェイント、「〇〇すると見せかけて別の方法を仕掛ける」という概念は、スポーツ、軍事、ビジネス、処世術など様々な局面において利用でき、これを活用しない手はありません。

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まとめ

中国の武人中国の武人

今回は兵法三十六系の中から「勝戦計」にあたる以下の六計について解説しました。

日本人は逃げることは卑怯だ、などと考える方がおられるようですが中国人は戦略を巧みに利用することに長けています。駆け引きということに拒否反応を持たれる方もいるかもしれませんが、駆け引きを心得て居なかったら人生やビジネスにおいても遅れをとることは間違いありません。

戦術をしっかり身に着けた者だけが現実社会を要領よく生き延びることができるのです。

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