本日は、日本でも非常に人気の高い拳種の八極拳について解説を行います。
八極拳とは
八極拳(はっきょくけん)とは、清代に河北省滄州の孟村に発症したとされる門派です。剛猛な風格を持ち一撃必殺の打撃力をもつことで有名な拳種です。
日本では、漫画やゲームでも取り上げられることが多い門派であり、 漫画『拳児』では主人公が修行する拳種として、具体的で専門的な解説を踏まえて描かれています。特に日本では、その一撃必殺の技術が好まれるのか、特に愛好家に人気の拳種であり、日本国内での八極拳練習者も多くみられます。
もともと八極拳は河北省滄州の地方武術でしたが、南京中央国術館の少林門と武当門に共通する正課として八極拳の教材が用いられたのが全国に普及するきっかけとなりました。この八極拳は団体で一斉に練習することが容易になるようにもともとの套路を改編して作られています。
近代、および現代において、政権要人の保護として、愛新覚羅溥儀(満州国皇帝)、蔣中正、蒋経国、李登輝(中華民国総統)らの近辺の侍従者が練習していた武術としても有名です。
八極拳は、六合大槍という長大な槍を操る槍法と併修され、槍術は八極拳の主力兵器となっています。
八極拳の名前の由来
八極拳の名前の由来は定かではありませんが、八極と言うのは八方の極限にまで威力が通る、という意味合いです。八方とは全方向という意味ですので、つまり全面隅々まで爆発力が発散するというところから取られた名前だと思われます。
八極拳は巴子拳とも表記されていたとされ、「巴子」とは五指の第二関節を折り曲げて握る拳の形のことですが、これを多用したため、巴子拳と呼ばれ、それが八極拳に転訛したという説があります。
八極拳の歴史
八極拳の歴史は、河北省滄州の孟村の住人であった呉鐘(ごしょう)が拳技を作り上げたという説が有力です。呉鐘は癩(らい)と癖(へき)と名乗る人物から拳技を授けられたという説があります。
当初は、回族(イスラム教を信奉する民族)孟を中心に伝えられていましたが、羅疃(漢族が居住)へ伝播し、回族系、漢族系の系統に分かれ伝えられるようになりました。
日本での八極拳の普及については、中国武術研究家の松田隆智氏の功績が大きく、松田氏は当初、台湾に伝わった八極拳を日本に紹介しましたが、のちに、大陸に伝承される系統についても研究い、日本に紹介しました。
八極拳の特徴
八極拳は一撃当たりの体重投射力が大きく一撃必殺の打撃力を誇る武術です。また相手と極めて接近した距離での戦闘技巧に長じます。震脚という動作を行い、急激な重心移動や跨の切りを主な攻撃力の根源とします。
八極拳の訓練では、頭、肩、肘、や膝など短い距離の部分を上手く使うための訓練が重視されています。これにより強大な爆発力を養成します。華美な動作がなく素朴で実質剛健な風格も特徴です。
肩部、頭部、肘などを使うことに優れ、数ある中国武術の中でも心意六合拳と並んで最も接近した距離で格闘することを得意とする門派の一つに挙げらるでしょう。
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八極拳の強み
八極拳の強みは一撃の打撃力と相手と擦れ合う様な距離での接近技法です。肘法、靠法の威力はすさまじく、大砲を至近距離から放たれるような圧倒的な制圧力があります。一撃単位の打撃力の養成にも相当な訓練を行います。
八極拳の弱み
他派と比較すると、遠距離での攻防を苦手とします。また訓練体系が一撃単位の攻撃力の増強に重きを置いているため、打撃の連続性は他の拳種に譲ります。よって初級者の場合、発力と発力の間に虚が生じるばあいがあります。ただしこの隙は発と蓄を結合できる中級者以上になるとなくなります。
一部の八極拳では、劈掛拳、螳螂拳を併修し、弱点を補う工夫を行っています。これにより蓄勁にて途切れてしまいがちな連環勁や連続攻撃の技法を補っています。
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まとめ
八極拳は、中国大陸及び台湾省地区で戦後も継承されていましたが、日本のメディアから脚光を浴び、その後現地で人気化した拳種でもあります。日本では当初台湾から伝わった系統を中心に練習が行われていましたが、現在は各地の老師が日本に招聘され、長春系、武壇系統、孟村回族自治県の系統など様々なものが練習されています。
中国大陸では長春、天津、滄州、西北地方(西安や蘭州)などで伝承され、馬家では劈掛拳、翻子拳と融合した通備拳の源流技術の一つとなっています。
台湾地区では、軍事訓練用に再構成された套路が一部の部隊の教則として練習されていた以外は、南京国術館出身者と一部の滄州出身者により伝承されていました。現在は、八極拳は台湾地区でも人気拳種となり、武壇国術推広中心の系列を中心として普及しています。