八卦掌は董海川が創始し、一般的な直線的な移動を基本とする套路の練習形態から弧を描いて曲線を回ることを技撃動作に取り入れた中国武術の数ある門派の中でも最も新しい部類に属する伝統拳術です。
董海川から八卦掌を学んだ程廷華がこれに工夫を加え発展させたものが程派八卦掌です。廷程華から程派八卦掌を学んだ高義盛がこれに形意拳、さらに攻防技法の招式を加えて体系を整理したのが程派高式八卦掌です。
今回は高義盛が創始した程派高式八卦掌について解説します。ここでは程派高式八卦掌は高義盛が山東省無棣県大山鄉の呉家に伝えた体系を中心に取り扱います。
目次
程派高式八卦掌
程派高式八卦掌とは、程廷華から程派八卦掌を学んだ高義盛が、形意拳や自分の知見、さらに攻防技巧の体形を加味し体系を整理した八卦掌です。
正式名称は揉身連環八卦掌、あるいは八卦揉身連環掌ですが、一般に程派高式八卦掌、高義盛派八卦掌と呼ばれています。程派八卦掌の支派であるため、程派八卦掌の特徴、例えば、龍爪手、大きく伸びやかな姿勢、淌泥歩の要領をよく受け継いでいます。
高義盛
まずは程派高式八卦掌を創設した高義盛から解説します。
高義盛は山東省無棣県大山鄉大荘子出身の武術家です。字を德源といい、1866年に生まれ1951年に85歳で没しています。幼少期は家が貧しく両親に連れられて河北省武清小高荘に移住しました。高義盛は幼少期に紅拳を学んだことがあり、また李存義からも形意拳を学び確かな武術の基礎を身に着けていました。
1896年、高義盛は程程華の弟子である周玉祥の紹介で程廷華の門下に入りました。程派八卦掌の主要な技術は周玉祥を通じて習得したといわれています。3年の厳しい練習を経た頃には高義盛は八卦掌の八大式や八卦刀、八卦刀、八卦槍等八卦掌の主要な動作や兵器を習得するに至りました。
1909年から1935年の間、高義盛は天津と武清、山東の無棣県一帯を往来し、八卦掌を指導する傍ら、自分の八卦掌の体系の確立を目指しました。
程派高式八卦掌の成立
程派高式八卦掌は、既存の各門派の優れたところを取り入れて成立した程派八卦掌に、高義盛がさらに独自の工夫を盛り込んだ程派八卦掌の支派です。一般の北派武術では単式練習や套路の形式において、直線上の往復を基本とした練習体系を持っています。
八卦掌は円周上を回り続け、その中に方向転換を適宜行い変化をするという練習体系です。程派高式八卦掌では、その八卦掌特有の円周上を歩行するという訓練方法と、直線上を往復し用法と技撃練習を行う練習方法の二本立てのカリキュラムを行うことが特徴です。
円周上を歩行する訓練方法は程派八卦掌と同じく「転掌」といいますが、直線状を往復する技法は、地支八卦あるいは後天八卦六十四掌という名で呼ばれています。
程派高式八卦掌の技術体系は高義盛が創始したとされていますが、宋異人という人物が地支八卦を授けたという伝説的伝承もあります。宋異人(Songyiren)は送芸人(Songyiren)「芸を送る人」とイントネーションも含めた発音が完全に一致します。
これは自分の創始した体系を、浮浪の徒や仙人から学んだことにするという中国武術でありがちなオーソドックスな成立伝承です。
実際には程派高式八卦掌の技術体系の成立には高義盛自身の知見のほかに、周玉祥から大きな影響を受けている可能性があります。
高義盛は程廷華の門弟ではありましたが、多くの技芸を師兄の周玉祥から受け継ぎました。高義盛は程廷華から学んだものと周玉祥から学んだものを組み合わせ、また自身が修めていた北派長拳、形意拳、太極拳等を融合させ、一つの体系としそれを六十四掌としてまとめ上げました。
よって地支八卦の中には、摔角の技法、拿法そして長拳の手法や身法、通臂拳中に見られる技法、形意拳の発勁に近いものも見られ、まさに北派武術の集大成のようなものとなっています。
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程派高式八卦掌の内容
程派高式八卦掌は、程派八卦掌をもとに高義盛が一工夫を加えて創設した程派八卦掌の支派に当たります。よって円周上を回る功法、つまり転掌については程派八卦掌と同一の動作要求をもとに練習を行います。
ここでは便宜的に「程派高式八卦掌」という名称を使用していますが、門派の名称は「柔身連環八卦掌」または「八卦柔身連環掌」が正式名称となります。
六大基本式
六代基本式とは以下の6種類の基本姿勢を言います。それらは以下の通りです。
- 站架式
- 立樁式
- 双撞掌
- 柔球式
- 双抱掌
- 片旋掌
六大基本式は所学必修の練習内容であり最も重要な基本功です。
蹚泥歩
六大基本式以外に、程派高式八卦掌では蹚泥歩という歩法を重要視します。蹚泥歩は字のごとく、泥の中を滑り進むような歩法です。蹚泥歩を行う際には、上虚下実、持身中正,両膝相抱などの要訣を守る必要があります。
また、五指抓地で地面と接触しながら、体は水平移動を保ち、舌は上前歯の付け根に充て、呼吸は細く長く深く行い、自然な姿勢で行うことが重要です。
転掌
転掌は蹚泥歩で円周上を回る練功法です。尹派や尹派に近い系譜の八卦掌ではこれを走圏とも言うようですが、程派八卦掌では円周上を歩行する練功法を転掌という名称で呼びます。
円周上を歩行する際には外歩をうちに扣し、内側の歩は直進します。舌先を上前歯の付け根に接する、口を軽く閉じるなど姿勢、動作、精神面に様々な要訣があります。転掌では基本的な手形のほかに、双撞掌、柔球式、双抱掌、片旋掌等の形を使い円周上を歩行する練習を行います。
八大綱
八大綱は八卦掌の蹚泥歩と転掌に連なる部分であり換掌の一部分です。一般的には老八掌という言われ方もします。八大綱は八個の動作で構成されており、それらは以下の通りとなります。
- 単換掌
- 双換掌
- 順式掌
- 背身掌
- 翻身掌
- 磨身掌
- 三穿掌
- 回身掌
その中でももっとも重要なものが単換掌です。これらの八つの動作を基礎としてその派生形の換掌も併せたものが八大綱となります。
天干八卦
天干八卦は八大綱の延長線上にあり、それをさらに深化と変化を加えた技術体系であり、八大綱を学び終え習熟した後に練習する動作です。天干八卦の換掌は八大綱よりもやや複雑で多彩な変化があります。天干八卦も八大綱と同じく円周上を回る転掌とともに練り、左右をそれぞれ均等に練習します。
天干八卦の動作は以下の通りです。
- 蛇形順式掌
- 龍形穿手掌
- 回身打虎掌
- 燕翻蓋手掌
- 転身翻背掌
- 擰身探馬掌
- 翻身背挿掌
- 停身搬扣掌
これらの8種の換掌以外に片旋換式掌と烏龍擺尾掌とその副式があります。
地支八卦
地支八卦は後天掌とも言われ、程派高式八卦掌の体系の特徴となるものです。一般的な八卦掌は円周上を回る動作の中に技撃性を組み込んだ体系を持っていますが、程派高式八卦掌ではそれとは別に直線上を往復し六十四種の用法を学ぶためのカリキュラムがあります。天干八卦で体を作り、地支八卦で用法を学ぶという体系が程派程派高式八卦掌の最大の特徴です。
第一段:打法
- 開
- 捧
- 托
- 探
- 捩
- 挑
- 蓋
- 纏
第二段:手法
- 截
- 藏
- 砍
- 削
- 二
- 虎
- 奪
- 環
第三段:卸法
- 穿
- 搬
- 接
- 攔
- 停
- 翻
- 走
- 轉
第四段:身法
- 推
- 托
- 帶
- 領
- 沾
- 連
- 隨
- 黏
第五段:肘法
- 蹲
- 盤
- 墜
- 頂
- 衡
- 挫
- 疊
- 鑽
第六段:腿法
- 趨
- 踹
- 擺
- 掛
- 踢
- 截
- 蹚
- 撞
第七段:進法
- 掖
- 擠
- 雕
- 攞
- 崩
- 闖
- 扣
- 攀
第八段:步法
- 搗
- 狸
- 吸
- 跨
- 搖
- 三
- 橫
- 竄
これらが地支八卦の六十四掌です。それぞれには打ち手(上手)と受け手(下手)があるため、厳密には動作は128種類あることになります。
本手
本手は地支八卦の六十四掌を対打化し卸法と変化を学ぶものです。程派高式八卦掌の神髄であるともいえます。本手は打ち手(上手)と受け手(下手)として単式練習もできますが、二人で対練形式で練習できます。
九宮
九宮は八卦掌の中でも比較的複雑な経路を歩行して行う行樁法です。9つの点に沿うようにして進みます。九宮には順行と逆行があります。
器械
程派高式八卦掌では、他の北派武術と同様に数々の武器を伝承しています。八卦刀、八卦剣、子午鴛鴦鉞、藤棒、八卦棍、八卦槍がありますが、その中でも子午鴛鴦鉞と八卦棍、八卦槍が特徴的です。
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程派高式八卦掌という名称について
高義盛が自称した支派名は門派名は揉身連環八卦掌または八卦揉身連環掌です。これが正式名称です。その後大陸地区で門派名が程派高式八卦掌と定められ、私もこの名称を便宜的に借用し場面で使い分けています。
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台湾地区における程派高式八卦掌の伝承
大陸では天津市や山東省無隷県、香港でも程派高式八卦掌は継承されています。台湾地区には、張俊峰と呉輝山、呉錦園親子が程派高式八卦掌を持ち込んでいます。
張俊峰
張俊峰は民国37年生まれの武術家です。大陸に政変が起こる前は彼は天津で輸入品や果物等の卸の商売を行っていました。政変により台湾地区に移住し、米穀の販売店を営んでいました。余暇を利用し円山の基隆河畔の児童公園で練習をしていました。武術を請う人が増加し、商売も軌道に乗らない中、武術を自分の生活の主体にすることを決意しました。
張俊峰は李存義系の河北派形意拳、高義盛派の程派八卦掌を修め、郝派太極拳を融合し易宗門を名乗りました。彼は天津に滞在時呉孟俠と兄弟の契りを結び、その縁で高義盛から八卦掌の技芸を学びました。
呉輝山
呉輝山は山東省無棣県大山鎮に生まれました。呉輝山の邸宅がある大山鎮は黄河河口域に属し、農業生産性が高い地域ではありませんでしたが呉家は村一番の大地主で、尚且つ翰林院(科挙の最優秀者が配置される皇帝直属の秘書室であり書物の編纂や詔勅の起草などを行う機関)に三世代の学者を輩出した学問の名家でした。
地主であり、学問の名家、地域の指導者であった呉家の主人の呉輝山でしたが、武術を好み、一族の四女にも武術の素養を持たせるよう教育を行っていました。
子弟に武術の教育を施す傍ら、呉輝山本人も武術を嗜み、優れた内功の持ち主でした。呉輝山が特に得意としていたのは、地支八卦の雕掌で、練習中に樹を打った際には枝葉が大きく震えたそうです。またある時には雕掌で暴れ馬を制したこともあるとか、雕掌は呉家の絕掌として恐れられていました。
清末から民国期にかけては治安維持の体制が脆弱であったため地主や資産家は自身の土地、財産や一族の運命を自助努力で防衛しなければならない時代でした。呉輝山は友人であった同郷の高義盛を邸宅に招聘して護院(邸宅の警護)とし高義盛の経済的援助しながらさらに子弟の武術教師としました。
呉輝山は1949年に政変を避けるため邸宅、下人、財産、土地の一切を捨てて青島港から家族とともに大陸を脱出、台湾省新竹県の竹東二重埔に落ち着きました。呉輝山は80歳を超えても身が軽く、竹東の二重埔では軽功ができると噂がたつほどでした。
呉錦園
呉錦園は字を杏林といい、民国八年に呉輝山の息子として山東省無棣県大山鎮に生まれました。山東省無棣県は武風の盛んな地域でした。呉錦園の生家も、土匪の襲撃に備えるため、警護を邸宅に置いていました。当時、無棣県は長拳系武術が盛んであり、八卦掌は普及していませんでした。
呉錦園は初め呉輝山からいくつかの基本功や北派武術を学びましたが、呉錦園の武才を見抜いた呉輝山は友人の高義盛を武術老師として招聘しました。呉錦園は邸宅の護衛にも当たっている高義盛から八卦掌の手ほどきを受けました。
呉家に住み込んでいたころの高義盛は長いあごひげを蓄え呉家の家族から「老師父」と呼ばれていました。呉家の邸宅には武術を練習するための部屋が設けられており、呉錦園はそこで八卦掌の転掌や単操法を学びました。
呉錦園が15,6歳になること高義盛は大山鎮を離れました。その後呉錦園は天津と北京一帯で名師を訪ねて回り八卦掌をより完全なものとしました。
1949年には政変のを避けるため呉錦園も故郷を離れました。国民政府軍とともに青島港から基隆に移り、そこで何か月か滞留した後政府から新竹県竹東鎮二重埔の二重小学校の教員の職を授かり、退職まで勤め上げました。
呉錦園は新竹県に転居後は、青年期に名師を求めて旅に出た時とは違い、小学校教師として生活し武術界とは隔絶した生活を送っていました。呉錦園が赴任した場所の近くには国軍第五十二軍の駐屯地があり、ある日数名の将校が彼の功夫を慕って訪ねてきました。
彼らは呉錦園の第一期の弟子となり、その後は八卦掌をもとめて続々と学生が集まり、彼らがのちに成立す「新竹県錦園八卦掌研究協会」の中核メンバーとなりました。
呉国正
呉国正は1961年新竹県で生まれました。父は山東省無隸県大山鎮大庄子生まれの呉錦園です。父親がその父呉輝山より啓蒙を受け武術を練習したように、呉国正も1976年から正式に八卦掌の練習を始めました。
呉国正は現在錦園八卦掌研究協会の掌門人(伝承者)兼総教練として活動しています。協会は現在新竹県及び台北地区でクラスが開講されています。
ここでは台湾地区に伝播した程派高式八卦掌を主体に紹介していますが、山東省では劉鳳彩の系統が、 香港では何可才の系統が伝承されています。
程派高式呉家八卦掌の学べるところ
程派高式八卦掌は以下の場所で練習できます。
新竹県錦園八卦掌研究協会
花垣武学研究会
程派高式八卦掌のまとめ
今回は程派高式八卦掌を台湾地区で呉家に伝承された系統を主にして解説しました。
八卦掌は中国武術の中でも比較的新しく歴史の浅い門派です。その八卦掌にさらに独自の工夫を重ねて作られた程派高式八卦掌は体系が成立してからまだ100年経っていない支派であり、最も新しい武術の一つとなります。最も新しい武術の一つであると同時に套路や招式を練る有形拳の最後の形でもあります。
古いものほど奥ゆかしいとされる中国武術の中で、私は最も新しい有形拳である程派高式八卦掌を学び、その精華を体現しようと日々練習をしています。私は地支八卦の六十四掌は学び終えましたが、それの対打形式である本手はまだ学びきっておらず、兵器はまだ一部しか学べていない過渡期の状況です。
ですがこれに巡り合えたのは、当時の天の運気、そして地の利、そして人の和の三才が合わさったからであると信じています。花垣武学研究会ではこれからも呉家に伝わった程派高式八卦掌を伝承し、普及活動を行っていきたいと思います。
このブログからたくさんの人が程派高式八卦掌を知っていただければ幸いです。また興味がある方は花垣武学研究会のブログから連絡をいただければと思います。