中国武術 PR

梅花螳螂拳 ~梅の花弁を想起する変幻自在の連環打法~

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

前回は螳螂拳の主流の一つである七星螳螂拳を紹介しました。今回は七星螳螂拳と双璧をなし膠東地区や台湾地区で普及している梅花螳螂拳について解説します。

尚派形意拳
尚派形意拳 ~尚雲祥が起こした河北派形意拳の支派~内家三拳の中でも剛猛な勁を発揮することで有名な形意拳には様々な支派があります。形意拳には山西派、河北派という区分のほかに車派、宋派などの...

螳螂拳とは

カマキリカマキリ

まずは螳螂拳についておさらいします。螳螂拳は明末から清初にかけて生きていた即墨出身の王朗という人物が創始したという伝説が残っています。

王朗はカマキリがセミを捕獲する動作にインスピレーションを得、18種の武術から技術を取り入れて螳螂拳を考案した人物とされています。

螳螂拳は套路が多いことが特徴ですが、螳螂門の中でも初期に作られたといわれている套路は、分身八肘、乱接、摘要などです。螳螂拳は姜化龍、宋子德、崔寿山、王玉山等が煙台、青島地域で伝播を行いました。

created by Rinker
国書刊行会
¥8,800
(2024/07/27 02:21:05時点 Amazon調べ-詳細)

梅花螳螂拳とは

カマキリカマキリ

螳螂拳は膠東半島全体に波及した武術ですが、梅花螳螂拳は特に煙台地方が有名です。

特に現在は煙台市に組み込まれている莱陽地区の李秉霄、梁学香、姜化龍が有名であり、近代においては李昆山、王玉山、崔寿山という莱陽の「三山」を輩出しています梁学香の系統が梅花螳螂拳と名乗られることが多いようです。

created by Rinker
¥15,893
(2024/07/27 11:32:57時点 Amazon調べ-詳細)

梅花螳螂拳の風格と特徴

カマキリカマキリ

風格の特徴としては梅花螳螂拳を名乗る螳螂拳は七星螳螂拳と比較して身法が柔らかく、のびのびとした印象を受けます。

短打的な拳打を多用し七星歩による引っ掛け投げを多用する七星螳螂拳と比較し、体全体を使った大胆な投げ、上半身の前傾やウェービングを攻撃や防御に能動的に活用しようとする傾向が強いです。

動作は霊活で変化に富み、滑らかなのびのびと印象を受けます。ただしこれは傾向性にすぎません。

手法の要訣は12字にまとめられています。つまりは以下のようなものです。

created by Rinker
祈りのカマキリデザイン選定会社
¥4,400
(2024/07/27 05:04:20時点 Amazon調べ-詳細)

梅花螳螂拳の要訣

カマキリカマキリ

また梅花螳螂拳では全体の要訣として以下のようなものも伝えられてます。

梅花螳螂拳の系統

カマキリカマキリ

梅花螳螂拳の系統には以下の支派があります。

姜化龍の系統

梅花螳螂拳の代表的伝人といえば姜化龍を外して語ることはできません。姜化龍は1855年に山東莱陽県に生まれ、梁学香の伝えた技を受け継いだ人物です。

莱陽県志には、「姜化龍は五尺に満たない丈だが、その技は霊巧なる猴の如し」と書かれ、滄洲で無敵を誇り武林に名を馳せたとされています。かれは羅漢拳や地功拳の名師たちと交流しそれらを螳螂拳に融合させ螳螂拳を発展させました。

姜化龍の足跡は膠東各地に及び晩年は煙台と莱陽で後輩の指導に当たりました。その系譜には、宋子徳、李崑山、崔寿山、王玉山、閻学信などがいます

郝家螳螂拳

梁学香から学んだ郝宏が広めた螳螂拳を郝家螳螂拳といいます。郝宏には、郝恒義、郝恒禄、郝恒常、郝恒信、郝恒坡、郝恒祥らの子息がおり、彼らが父の螳螂拳を山東と東北に広めました。

太極梅花螳螂拳

姜化龍から王玉山に伝承された系統は、太極螳螂拳或いは太極梅花螳螂拳と呼ばれることもあります。

王玉山から子息の王元亮、王元乾や、李飛林、等がこの系譜を継いでいます。日本にも多くの弟子や学生がこの系譜を継承しています

趙竹溪太極螳螂拳

趙竹溪は掖県出身の武術家です。趙竹溪は平度県で育ったのち、澤山智藏寺で太祖門の武術を学びました。

彼は鏢師を経たのち螳螂拳を学び、その後は広州、香港、マカオを経てベトナムにまで伝わり、太極螳螂拳が広く南方に伝わることになりました。

梅花螳螂拳の套路

カマキリカマキリ

梅花螳螂拳の套路において代表的なものは以下の通りです。

  • 白猿偷桃
  • 崩歩
  • 乱接
  • 梅花手
  • 梅花路
  • 梅花拳
  • 摘要
  • 八肘

created by Rinker
¥5,500
(2024/07/27 12:48:56時点 Amazon調べ-詳細)

梅花螳螂拳における著名な人物

カマキリカマキリ

梅花螳螂拳における著名な人物は以下の通りです。

李秉霄

李秉霄は莱陽県赤山村出身の人物です。莱陽県志にも記載がある螳螂拳伝承上の重要人物です。李家は科挙官僚を代々排出した家柄で莱陽県の名士でした。

初めは科挙合格を目指し勉学に励んでいましたがのちに武学に転向、武術を修めました。彼の時代に初期に形成された套路が整理されたと言われています。

 

梁学香

梁学香は山東省海陽県于山夼村の出身の人物です。生まれは1810年とされています。生家は貧しく、幼少時は李秉霄家の牛飼いをしていました。生まれは貧しく体躯は小柄でしたが、聡明な梁学香は夜は李秉霄に武術を学び、日夜練習の日々を送りました。

梁学香は半生を保鏢として過ごし、帰郷し武術を教えることを糧にするようになりました。彼は海陽、莱陽、栖霞、黄県、牟平等で螳螂拳の指導を行ったため螳螂拳が膠東地区に大きく普及ことになりました。

梁学香の教えを受けた者には、梁敬川、張文清、郝宏、姜化龍、李明環等がいます。

姜化龍

姜化龍は山東省莱陽県黄金県出身の人物です。梁学香から梅花螳螂拳の伝を受け継ぎ、その後大きく普及させたことでも有名です。

姜化龍はもともと地功拳を学んでいましたが、比武に敗れた際自分の武功のなさを痛感し、その後梁学香に師事し螳螂拳を学びました。

宋子徳

宋子徳は莱陽の趙格庄出身の人物です。彼は姜化龍とは親戚であり、また義兄弟の契りを結んでいました。

宋子徳は自ら螳螂拳に打ち込む傍ら、螳螂拳を研究し、拳譜と理論を整理し、螳螂拳を系統立てた体系に仕立て上げました。宋子徳は煙台で螳螂拳を大成し、のちには紀春亭などに技芸を伝えました。

郝宏

郝宏は字を蓮茹といい、煙台の牟平県廟後村出身の人物です。当初は羅漢拳を練っていましたがのちに梁学香より螳螂拳を学びました。

郝宏の技芸は卓越しており、北京で槍の比武を行った際には人は彼を「神槍郝」と呼ぶほどでした。郝宏は梁学香から学んだ螳螂拳を息子たち一族に伝授し山東、東北各地に広まりました。

郝一族の螳螂拳は「郝家螳螂拳」と呼ばれるようになりました。郝一族には郝恒禄、郝恒義、郝恒常、郝恒信、郝恒坡、郝恆祥、郝斌らがいます。

曹徳坤

曹徳坤は郝恒禄の弟子のひとりです。1915年に煙台からハルピンにでて螳螂拳を指導しました。彼が創設した徳坤武術館は今もハルピン市の道里区西十四道街に健在です。

曹徳坤により螳螂拳は北満地区も普及し、弟子の劉長功が創設した「梅花太極拳螳螂拳委員会」は今もロシアや東欧各国の学生に対して指導を行っています。

孫元昌

孫元昌は海陽県出身の人物で梁学香の弟子として有名です。かれは梁学香から螳螂拳を学び、その後故郷で武術館を開き弟子の指導に当たりました。孫元昌の再伝弟子には趙竹渓がいます。

李崑山

李崑山は莱陽県出身の人物です。12歳の頃から伯父の李丹伯について長拳を学び、17歳からは李丹伯の義兄弟である姜化龍から螳螂拳を学びました。1933年に参加した山東省国術考試では長兵組の第一等となり、南京での国考では長兵器組にて優勝しました。

李崑山は済南に創設された山東国術館にて武術を指導し、その後馆莱陽に戻り莱陽県国術館の創設者に一人になりました。

地域の重職を歴任し、抗日戦争にも参加しましたが、その後台湾に転居し、台湾では基隆にて基隆国術館を主宰し台湾地区の螳螂拳の普及に貢献しました。

崔寿山

崔寿山は山東莱陽県出身の人物です。12歳で宋子徳門下に入り梅花螳螂拳を学び、1912年には故郷で武術の指導を開始しました。大連や東北にも足を運び広く武友と交流し、李崑山、王玉山とともに莱陽三山の一人として武林に名を轟かせました。

1933年には他の名人たちとともに莱陽城内にて莱陽国術館を設立者の一人となりました。1935年には寿山拳房を主宰し、1937年に煙台が陥落後は故郷に戻り寿山国術館を設立し武術を楽しみとして余生を送りました。

王玉山

王玉山は莱陽県出身の人物です。李崑山、崔寿山とともに莱陽三山の一人に数えられています。もともとは外祖父から地功拳を学んでいましたが、18歳の時に宋子徳に拝師しその後7年にわたって功を積み増した。

王玉山は宋子徳と親戚であり、その縁で姜化龍からも直接指導をうけています。のちに青島国術館からの招聘により青島でも指導を行っています。現在も青島には王玉山系統の多くの螳螂拳が残っています。

鮑光英

鮑光英は煙台出身の人物です。当初かれは長拳を学んでいましたが後に梅花螳螂拳を習得しました。

若いころは煙台て鏢師をしていましたが、のちに香港に移住し、武術館を設立して梅花螳螂拳を指導しました。彼が伝えた系統は「摔手螳螂」とも言われています。

梅花螳螂拳のまとめ

カマキリカマキリ

今回は螳螂拳の支派中でもよく普及している梅花螳螂拳について解説しました。

螳螂拳は、一部の伝が南方に伝わり、それが七星螳螂として早期に海外に伝播したこともあったのか、七星螳螂拳という支派名が有名でしたが、山東省の膠東半島や東北地方、台湾地区では梅花螳螂拳やその流れを受け継ぐ支派が優勢です。

伝播が広く行われ、様々に受け継がれた経緯から、梅花螳螂拳は系譜の流れにより風格や細部が異なることがありますが、大まかな流れとして同じ根本にたどり着くことができる武術です。

とくに膠東半島の煙台とその周辺地区で土着で伝承されてから各地に流布したという歴史的背景からも、今でも煙台など、膠東半島の北岸では一大勢力の門派であり、速戦性、実用性も併せて大きな評価を受けている武術です。

いまでは多くの映像資料にて多くの梅花螳螂拳と梅花螳螂拳に連なる支派を目にすることができます。私自身も螳螂拳を嗜んでおり、その伝承と技術的な中核部分は梅花螳螂拳です。

梅花螳螂拳は台湾地区や山東省、東北地区で普及していますし、日本国内にも中国の老師に正式に拝師され螳螂拳の普及と指導に当たっている個人の方や団体もありますの。日本でも比較的学び易い中国武術の拳種だと思います。

比較的初期段階から実用性のある技術を学ぶことができる門派でもあるため、お勧めの武術と言えます。近くに梅花螳螂拳の教室がある方は近くの教室へ、近くに教室がない方は山東省へいけば学べます。ぜひ体験していただくことをお勧めします。

このブログが皆様の中国武術研究の参考になれば幸いです。

七星螳螂拳
七星螳螂拳 ~南方や海外にも広く普及した硬螳螂~ 以前武備ログでは拳種の紹介しとして「螳螂拳」についての記事を掲載しました。 また先日は梅花螳螂拳について解説をしています。 ...
関連記事