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孫禄堂 ~孫式太極拳を創始した内家拳の代表人物~

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孫禄堂は武聖,武神,萬能手,天下第一手等の通り名で呼ばれ、郭雲深、尚雲祥と共に、形意拳の三大名人の一人とされています。

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今回は形意拳、八卦掌、太極拳の融合論を唱えた孫式太極拳を創始した孫禄堂について紹介します。

孫禄堂の生い立ち

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孫禄堂は名を福全、字を禄堂と言います。先祖は河北省保定市望都県の出身です。孫祿堂は聡明で学問を好む子供でしたが9歳の時に父親を失い貧しい中で少年時代を過ごしました。11歳ころには故郷を離れ保定で毛筆店の徒弟となりました。

形意拳、八卦掌を修める

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13歳のころには、李魁元から形意拳を学ぶようになりました。また彼李魁元からの推挙により郭雲深からも形拳拳を学びました。孫禄堂は芸の道を極めるため形意拳だけにとどまらず八卦掌の名師程廷華を訪ね八卦掌の神髄を得ました。

孫禄堂は1885年頃から南北の各省を遊歴し、少林寺、武当山、峨眉山などを訪歴したとされています。

孫禄堂は1888年故郷に戻り、蒲陽拳社を創設し武術を教授しました。彼は当初李魁元と郭雲深から学んだ形意拳に加え、宋世栄、車毅斎、白西園などからも技を授けられるようになっていました。

孫祿堂は1907年には東北三省の総督である徐世昌に招かれ、1909年頃に北京に戻っています。

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太極拳を修める

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1912年孫祿堂は太極拳の名人郝為真と見識を得、武式太極拳の郝為真から太極拳を学びました。孫祿堂は八卦掌、形意拳、太極拳の相通じる理念を融合し、それぞれを鼎の一脚として統合し孫氏太極拳を創設するに至ります。

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中央国術館の武当門門長となる

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1928年には、成立した南京中央国術館の教師として招聘され武当門の門長に就任し、その後は江蘇省国術館の副館長兼教務長としても教鞭をふるいました。

孫祿堂から指導を受けた人物はとても多いですが代表的な人物としては靳雲亭、李潤如、陳微明、沙国政等がいます。

同年、孫祿堂は致柔拳社の創立4周年式典や、浙江省において開催された国術芸大会の副審判委員長を歴任したり、上海にて開催された国術大会では審査委員会主任を任じられています。

1930年の江南水害の際には、義援表演で雑式捶を演じました。孫祿堂は1931年には北京に戻り、1933年に亡くなりました。

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孫祿堂の評価

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孫祿堂はこれまで多くの人から絶大な評価を得てきました。山東国術館の教務長で形意拳家の田振峰は、孫祿堂は形意拳の神髄をすべて持ち帰った、と賞賛しました。

中央国術館の編審処処長で八卦掌の名人である姜容樵は、孫祿堂の八卦掌をすでに境地に至り、同輩は足元にも及ばない。形意拳は妙技を極めていると賞賛しています。

武当剣の名人である黄元秀は、近代拳術である形意、八卦、太極の三門の妙技を一生をかけて修めた、簡単にできることではない、と評価しています。

中央国術館の編審処副処長の甘鳳池は、「国術史」の中で孫祿堂を「その技撃は最高の境地に達し、人徳高く、武術の術と道に通じている」と記述しています。

形意、八卦の名人張兆東が晩年に友人に話したところによれば、「これまでの一生で出会った者のうち、武功が神明の域に達し、聖峰を登り極めたものは、孫祿堂一人だけだ」と語っていたといいます。山東国術館館長であった李景林は、「拳術を大成し、それを創造し極めたものは孫祿堂ただ一人である」と言い残しています。

国術史家の童旭東は、「孫氏武学研究」の中で、「孫祿堂の武功の造詣は絶するものである」と記しています。

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孫祿堂の著書

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孫祿堂の著書には形意拳学、八卦拳学、太極拳学、拳意述真、八卦剣学、八卦槍学、論拳術內外家之別があります。

孫祿堂の技芸の継承

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孫祿堂の系譜は子の孫存週、孫剣雲に引き継がれています。孫剣雲は孫氏太極拳研究会会長、孫氏太極拳的第二代掌門人に就任しています。

孫禄堂の功績

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孫禄堂は形意拳、八卦掌、太極拳の理論を融合し、孫式太極拳を創造しました。形意・八卦・太極の理には同じところがあるとして、内家三拳の合一論を提唱しました。孫禄堂がまとめた技術体系は、東北地区、北京天津、浙江江蘇地区や四川盆地にまで普及しています。

孫禄堂にまつわるエピソード

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孫禄堂には以下のようなエピソードが伝えられています。

  • 孫禄堂はずば抜けた身体能力で有名でした。活猴禄堂との異名を持ち、馬のしっぽをのせ、一緒に数十キロ走り続けた。
  • 100人以上の村人の小競り合いに巻き込まれた際には、点穴術で全員を動けなくし、後で全員を解穴術で解いて回った。

孫禄堂のまとめ

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孫禄堂は、技撃だけでなく、易学、丹経、文事にも通じ、中国伝統の哲学思想と技撃を一体とし、拳と道の結合を目指した武学思想を提唱しました。形意拳、八卦掌、太極拳の拳訣を極め、三拳合一の理論と体系を完成させました。

孫禄堂はまた内功、点穴、軽功、武器等の諸芸にも通じ、儒と道の両学に通じていました。そしてこれらをもとに、形意、八卦、太極の三拳を合わせて孫家拳としてまとめあげました。孫祿堂も初めから最終段階に至ったわけではなく、当初は技撃を強調する内容から始まり、健身と養生を強調する段階に至るという変化を経て理論を構築しています。

今回は中国武術を武学の精華としてまとめ上げた名人孫禄堂について解説しました。100年前に生きた孫禄堂の功績は重要です。我々は孫禄堂が生きた100年前とは情報、交通手段、環境において比べ物にならないほど便利な世の中に生きています。

孫禄堂ができたことを、今の我々ができないことは絶対ありません。我々は孫禄堂の成果に敬意を表しつつ、孫禄堂の研究を一つのステップとして、さらにそれを発展させた新しい次元のものに取り組んでいかなければなりません。

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