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六合螳螂拳 ~煙台竜口に伝わる柔の螳螂拳~

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これまで武備ログでは七星螳螂拳、梅花螳螂拳、八歩螳螂拳を取り上げてきましたが、今回は六合螳螂拳を紹介します。

六合螳螂拳

カマキリカマキリ

六合螳螂拳は七星螳螂拳、梅花螳螂拳と並ぶ螳螂拳の一大門の一つです。七星螳螂拳と梅花螳螂拳には一部重複する套路や技術体系を持ちますが六合螳螂拳は趣を異にする螳螂拳です。

六合螳螂拳は、七星螳螂拳と梅花螳螂拳と比較して柔らかい風格を持つといわれています。勁の有効時間が長く、柔軟で弧のような動きを多用する傾向があるからです。

様々な技法を吸収し成立した螳螂拳は套路が多いことが特徴ですが六合螳螂拳の套路はそれほど多くなく、套路を学ぶ上では学び易く精華を得やすいとされています。

六合螳螂拳の歴史

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ここでは六合螳螂拳の歴史を紹介します。

六合螳螂拳の歴史は魏三に始まります。魏徳林、通称魏三(江湖の世界では鸭巴掌と言われていました)が彼が梅花螳螂拳の李秉霄から螳螂拳を学び、それを林世春が受け継ぎました。

丁子成は林世春から六合螳螂拳を受け継ぎ、1926年には黄県国術館を創設し螳螂拳の指導にあたりました。

これが黄県での六合螳螂拳の普及につながることになりました。丁子成は多くの優秀な弟子を育てました。丁子成の弟子の中でも有名な者には単香陵、張詳三などがいます。

六合螳螂拳という名前の由来

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六合螳螂拳の名前の由来ですが、六合という概念を重んじる螳螂拳として六合螳螂拳という名称を採用した説、一帯に伝わる六合拳という武術と融合したことにより六合螳螂拳とした説、あるいはその両方が考えられます。

六合螳螂拳は別名、光板螳螂、馬猴螳螂とも呼ばれることがあります。

六合螳螂拳の特徴

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六合螳螂拳の特徴は以下の通りです。ここでは七星螳螂拳や梅花螳螂拳にはない六合螳螂拳の特徴のみに焦点をあてます。

六合を重視する

六合螳螂拳はその門派の名前通り、六合を重視します。六合とは即ち、心と意、意と気、気と力という内三合と肩と胯、肘と膝、手と足という外三合の六合が高い精度で行われてることを言います。

勁が高度に連環している

六合螳螂拳は勁の連環が他の螳螂拳よりさらに進度化していることが特徴です。螳螂拳自体、そもそもが勁を重視し連撃を得意とする拳種が、六合螳螂拳はそれをさらに深堀りし
出拳と収拳、発と蓄の勁がよりスムーズになるように体系化されています。

勁の有効時間が長い

六合螳螂拳の勁は鋭さ、脆さは少ないものの有効時間が長いことが特徴です。一点だけに有効な鋭い打撃よりも円運動の中で接触したところが勁の打点となるような打ち方が得意です。

有効な勁を発揮できる時間が長いということは、技撃的にアドバンテージとなります。

新しい螳螂拳

六合螳螂拳は他の螳螂拳と比較して後で成立した支派です。他にも比較的最近に成立した支派としては八歩螳螂拳という支派もあります。

伝承者は少ない

六合螳螂拳は成立が新しいこともあり、他の螳螂拳と比較して伝承が広く伝わっておらず
伝承者も少ないです。

煙台の黄県、龍口地区や北京、台北地区で伝承されており、山東省、東北三省、上海、広東省や香港、台湾地区、東南アジアに広く伝播した他の螳螂拳よりも伝播の範囲が狭いです。

その他の特徴

六合螳螂拳は拳を錘捶(中指を突き出す拳形)を多用し内旋、外旋、螺旋の入った打法を使います。溌溂とした弾けるような勁を使うというよりも纏、粘や圏といったねじりの効いた手法が多いことも特徴です。

六合螳螂拳の要訣

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六合螳螂拳の技法には以下ような要訣があります。

六合螳螂拳の套路

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六合螳螂拳の套路には以下のようなものがあります。

  • 双封
  • 鉄歯
  • 善手奔
  • 鏡里蔵花
  • 截手圏
  • 藏花
  • 短捶

器械には以下のような套路があります。

  • 六合刀
  • 純陽剣
  • 六合大杆子
  • 六合槍
  • 六合棍
  • 三合剣
  • 雁翎刀

六合螳螂拳の人物

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六合螳螂拳には以下のような代表的人物がいます。

魏徳林

魏徳林は萊陽の武術家です。またの名を魏三とも言います。彼は先天的に指がつながっており、「鸭子巴掌魏三」や「光板」とも呼ばれていました。

幼少のころは河北省の滄州で芸を磨き、その後は六合拳、通臂拳、劈挂拳を学び、莱陽では螳螂拳の名人である李秉霄から螳螂拳を学びました。

その後、彼は東北三省を渡り歩き、たどり着いた林家村の林佩道に匿われました。そこで魏徳林は自分の六合螳螂拳を林家に伝えました。

林世春

林世春は山東招遠出身の武術家です。家伝の武術と魏德林から学んだ六合螳螂拳を後世に伝えました。彼は農業を生業とする農民でしたが家には羅漢拳や单捶という武術が伝わっておりそれを伝承していました。

林世春はまた祖父からは短捶という技術をも習得しました。林の父親はあるとき魏徳林を自邸に招き、林世春はその縁で六合螳螂拳を学ぶに至りました。

丁子成

丁子成は黄県の有力者です。多くの資産を保有していることから丁百万と言われていました。丁子成は幼いころから武術を愛好しており、実業の傍ら自家に武術家を招き保鏢や護院として雇っていました。

丁子成は招聘した保鏢や護院から武術を学び、またのちに林世春が黄県に赴いた際には丁子成は王吉臣とともに六合螳螂拳を学びました。

丁子成は自邸に黄県国術研究会を設立し、武術の普及に努めました。後に黄県国術研究所は黄県民衆教育健康部と合併し、丁子成はそこで六合螳螂拳を伝えました。

張詳三

張詳三は山東省黄県出身の武術家です。彼は黄県で六合螳螂拳を教えていた丁子成から螳螂拳を学びました。

1949年に台湾島に転居後は台湾省国術会の発起人となり理事、常務理事や代理理事長を歴任し台湾地区での六合螳螂拳の普及に貢献しました。

単香陵

単香陵は山東省黄県の出身の武術家です。単香陵は長拳や槍術、棍術に通じ、また六合螳螂拳にも精通していました。単香陵は北京でも有数の国術館であった第一国術館に招聘され顧問を歴にしていました。

張道錦

張道錦は山東省龍口市出身の武術家です。5歳から武術をはじめ8歳に単香陵から六合螳螂拳を学び始めました。

その後は多くの武術大会で優秀な成績を残し、また自身も大会の審判員として武術大会の運営に携わっています。現在は国家級社会体育指導員や中国武術協会会員などで武術の普及を推進しています。

六合螳螂拳のまとめ

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今回は六合螳螂拳について解説しました。六合螳螂拳は七星螳螂拳や梅花螳螂拳より伝播が少なく希少拳種です。風格や套路構成は他の螳螂拳と異なる部分が多いですが、拳訣を見るとやはり完全に螳螂拳であるといえます。

流れるように変化する柔の風格を持つ螳螂拳、ですがその勁と理論は高尚です。ぜひ学んでみることをお勧めする螳螂拳の支派です。

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