みなさんは中国には打撃系の武術だけではなく、投げを中心とする「摔角」という武術があることをご存じでしょうか。本日は華麗な技とキレにより花胡蝶と称された常東昇を紹介します。
常東昇の生い立ち
常東昇は1911年に河北省保定の東城根將軍廟街で回族の家庭に生まれました。字を漫天(後に曼天に改める)といいます。実家は摔角を伝える家系で常東昇は摔角を父から学びました。常東昇の家系は敬虔なムスリムであり、父は郷里でも有名で「百戦将軍」の通り名を持っていました。
摔角で頭角を現す
常鳳亭には4人の息子がおり、その中で常東昇は末弟でした。長兄の常東如は張鳳岩という老師のもとで摔跤を練っており常東昇も父のすすめで早くから武術の練習に励んでいました。
10歳の時には張鳳岩の門下に入り、家伝の武術も磨きながらも張鳳岩の指導も受けていました。兄弟四人はすぐに頭角を現し、「常門四虎」と呼ばれました。常東昇の実力は四人の中でも傑出していました。
常東昇は張鳳岩の門下にいること13年。常東昇は張鳳岩を妻として迎えました。常東昇は15,6歳のころにはすでに傑出した実力を誇り、「摔角王」や「常勝將軍」の通り名を持っていました。また常東昇の摔角動作は快速で優美であったため「花蝴蝶」という異名を得ていました。
清朝末期から民国初期にかけて保定は摔角が最も盛んな地域の一つでした。保定には摔角を教える練習場が林立し多くの人材を輩出しました。
中でも張鳳岩は保定摔角の重鎮であり、練習場で徒弟に技を教える傍ら、飲食店経営なども行っており、裕福な生活を送っていました。栄養のあるものを十分に食べられる経済状況は摔角の大成には非常に重要な要素です。摔角は運動量が大きいため貧しくて十分な栄養価を摂取できなければ練習が続きません。
中央国術館で摔角教師となる
1932年、馬良の推薦により、22歳の常東昇は南京中央国術館の摔角教師となりました。当時提唱されていた「国術」には、中国摔角を含めた多くの体育項目が含まれており、多くの著名な武術家が中央国術館で教鞭をふるっていました。
王子平、佟忠義、馬英図、馬裕甫らはみな一般の武術と摔角を兼ね備えた人物でした。そこに若手の教師陣として常東昇、楊法武、馬文奎らが配置され、打撃系武術と摔角の融合が図られました。
常東昇は中央国術観で教鞭をとること5年、この間にも多くの人材を育て、継承してきた伝統的な訓練方法を基礎にして大胆に実践と探求を行い新しい訓練方法の創出も行っています。
常東昇が行った摔角のトレーニングに最適な訓練機材の選定、トレーニング方法と競技ルールの整備を行うとともに厳しいカリキュラムを感性させ、レベルの向上に大きく貢献しています。国術の中でも中国式摔角は最も体系の整ったものの一つとなっています。常東昇は当時の中央国術館の権威の高揚に大きな功績を残しています。
抗日戦争と常東昇
常東昇は抗日戦争の国難に際し第七、第八、第四、第五軍の体育教官にとなり、陸軍軍官学校では落下傘部隊の体育教官となり人材の教育に尽力しました。
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抗日戦争勝利後の活動
中華民国が抗日戦争に勝利した後、常東昇は中央訓練団の体育教官になりました。また南京民間の摔角団体でも自ら指導し、南京をはじめとする江蘇省の摔角人材の育成に貢献しました。1948年に上海で行われた第七回運動会では、常東昇は陸軍代表で試合に臨み中丙級で優勝、弟の常東起も中乙級で優勝しています。
台湾へ移住
1949年常東昇は政変に伴って国民政府とともに台湾に移住しました。その後は警察関係者の指導に生涯を注ぎました。台湾では中央警官学校の教官、台湾師範大学、政治作戦学校でも指導に当たりました。
台湾では招聘されれば何処にでも教授に赴き熱心に摔角の指導と普及を行っていました。中央警官学校の教官をした後は、台北大学、政治大学、文化大学、建国中学などで国術教師を歴任し多数の学生を抱えました。
1975年には教師を引退後は、中国式摔角の発展を積極的に推進する活動を行いました。また世界各国への普及を行うため、香港、シンガポール、西ドイツ、スウェーデン、メキシコ、アメリカなどを訪問し講演と表演を行っています。
常東昇の芸は世界各地でも高い評価を受け、世界に中国武術の魅力を伝えました。特に1975年にモロッコ王国を訪問し中国武術を表演した際には、モロッコの国王親衛隊を次々に倒し、モロッコ国王からの賞賛をうけました。
モロッコ国王はこのとき常東昇に一振りの宝刀を下賜しています。これはアラブ世界での武人に対する最高の栄誉です。現在はアメリカやヨーロッパなど海外にも摔角を練習する団体があります。
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常東昇の著作
常東昇の著作には「摔角術」があります。
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常東昇の教えをうけた人物
常東昇の教えを受けた人物には、湛金濤、姚長明、楊忠孝、朱玉龍、蘇成、郭慎、翁啟修、林奉文、張光明などがいます。特に張光明などが有名です。また常東昇の孫の常達偉は台湾で摔角の普及と伝承に努めています。
常東昇のまとめ
今回は、「花蝴蝶」という異名をもつ摔角の達人の常東昇を紹介しました。常東昇は中国の近現代を代表する武術家の一人であり、50年以上にもわたり摔角を研究し広く普及させた功績があります。また人格にも優れ多くの弟子を育てたことも特筆すべき点です。
摔角は私も個人的にぜひ習いたいと思う国術の一つです。常東昇の技術がこれからも中国と台湾の両岸で広く普及することを期待します。