中国武術名人録 PR

韓慶堂 ~南京中央国術館第一期の最優等、武状元として名を馳せた擒拿の達人~

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これまで何人もの中国武術の名人名師を紹介してまいりました。今回は南京中央国術館第一期の卒業生として最優等の成績で卒業したうちの1名として台湾地区で有名な韓慶堂を紹介します。

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韓慶堂の生い立ち

南京市街南京市街

韓慶堂は1900年に山東省即墨県(現在の青島市即墨区)店集鎮西棗行村で生まれました。
韓慶堂は幼少の頃より武術を好み、少年時代に故郷を離れ青島に出た時には、少林拳の孫茂林に教えを受け、その後姜本河のもとで北派長拳を練習していました。

その後、韓慶堂は済南の軍士武術伝習所でも武術を学びました。済南では韓愧生から私的に教授を受けた以外に、少林拳の名手の常秉章からも指導を受けています。

1917年には馬良が山東に武術伝習所を創設しました。韓慶堂はそこで常秉章門下の武術を練習し、また埋伏拳や摔跤も学んでいます。伝習所の解散後は、曹錕の苗刀部隊で苗刀を習得しました。その後、杭州では呉山から指導を受け、その後辛亥革命の元老である黄元秀の邸宅で劉百川、楊澄甫、褚桂亭等らと交流を持ちました。

南京中央国術館に入学

南京市街南京市街

1928年に国都南京に於いて中央国術館が設立されると、第一期生として入学し、少林系武術のほかに、楊澄甫から太極拳と推手の手ほどきをうけ、また李景林の門下となり武当剣法、太極拳、内功も収めました。また王子平のもとでは擒拿に磨きをかけました。

1929年に浙江省で開催された国術遊芸会での擂台大会では、七位の成績を修めました。
1930年には南京中央国術館を最優等の一人として卒業しました。同窓生は彼を進士の最優等ならぬ「武状元」と称えました。それから浙江国術館に招聘され武術を指導していました。

国民政府とともに台湾へ

南京市街南京市街

韓慶堂は1947年には国民政府と共に台湾に移り、中央警官学校と台湾省警察学校で技術教官となり、警官用擒拿術及び養身太極拳の編纂を行っています。軍警関係ではほかにも情報局でも技術指導にあたりました。

また台湾大学、政治大学、台北商専、台北工専で成立した国術サークルでも指導に当たり、韓慶堂の弟子たちも成功中学、中興法商学院、中正高校、師範学院、中国文化大学で指導に当たり、中国北派武術の普及に貢献しました。

韓慶堂は埋伏拳、炮拳、北少林長拳と鉄砂掌、点穴、擒拿、摔法に優れ、「千手擒拿」という通り名を持っていました。韓慶堂は30年以上の間警察関係者に武術を指導し、正統な北派長拳を台湾地区に普及させた第一人者となりました。

韓慶堂が伝えた系統は後に「韓門」と称されるようになりました。韓慶堂は武術教授のためフィリピンを訪問した際の接待の飲酒と疲労により中風にかかり1976年にそれがもとで亡くなりました。

韓慶堂が伝えた武術

南京市街南京市街

韓慶堂が伝えた武術は台湾の北派武術の普及に大きく貢献しました。韓門といわれる体系に含まれる套路や内容は以下の通りです。

北少林拳系

  • 潭腿
  • 連歩拳
  • 功力拳
  • 一路埋伏
  • 二路埋伏
  • 三路砲拳
  • 四路査拳
  • 十字趟
  • 四路奔打
  • 太祖長拳

武当拳系

  • 形意拳
  • 八卦掌
  • 108式太極拳

各種器械

  • 少林棍
  • 群羊棍
  • 行者棒
  • 四路苗刀
  • 七星刀
  • 八卦刀
  • 三才剣
  • 崑吾剣
  • 戚門剣
  • 七星剣
  • 青萍剣
  • 少林槍
  • 楊家槍
  • 六合槍
  • 梨花槍
  • 春秋大刀
  • 双手帯
  • 扑刀
  • 月牙鏟
  • 七節鞭
  • 三節棍
  • 繩鏢
  • 双刀
  • 双鉤
  • 双剣

対練

  • 小五手
  • 散手対打
  • 擒拿対打
  • 苗刀対劈
  • 三才対剣
  • 行者対棍
  • 兩刀互咬
  • 六合対槍
  • 単刀対槍
  • 大刀対槍

韓慶堂の弟子

中国の城壁中国の城壁

韓慶堂は多くの門弟を抱えていました。杭州時代における有名な弟子は蔣玉堃、何長海、王子華、蔣慧嫻らがいます。

台湾地区の弟子のうち、王建緒、沈茂恵、姜長根、唐克傑、孟憲明らの5名は「韓門五虎」と言われています。ほかにも台湾地区には、傅松南、李茂清、徐紀、梁紀慈ら台湾地区の北派武術の普及に大きく貢献した者がいます。

韓慶堂の後裔

南京の風景南京の風景

韓慶堂は子宝にも恵まれ、樹英、樹英、樹美、樹龍、樹駿、樹法の男子、玲玲、宝玲、珍玲という女子を設けています。長男の韓樹英、次男の韓樹美、長女の韓玲玲は特に父の技芸をよく継承しました。

韓樹英は家伝の武術を習得する以外に、王松亭について螳螂拳を学び、王の関門弟子となりました。韓玲玲は武壇推広中心の劉雲樵の開門弟子の梁紀慈と結婚しボストンに移住。現地で「健雄国術館」という武館を開き武術の普及にあたっています。

韓樹美の息子の韓基祥は、韓家武術を集大成した武館「韓門武集功夫学苑」を新北市板橋区にて主宰し、杭州時代の祖父の弟子たちとの交流、韓家武術普及の推進、数々の武術活動への参加を行っています。韓基祥のもとでは次の世代が続々と頭角を現しています。

韓慶堂のまとめ

南京の風景南京の風景

今回は南京中央国術館の第一期の最優等のうちの一人として卒業し、台湾地区での北派武術の普及に多大な貢献をした韓慶堂について解説しました。韓慶堂が伝えた武術は台湾地区、特に台湾北部で広く普及しており、嫡流から傍流までさまざまなサークル、武術教室で指導が行われています。

第二次世界大戦後の台湾地区には「山東武術の精華」が残されているといわれたほどで、山東国術館、青島国術館系列と並び、山東武術を大きく普及させたという貢献は誰も否定できないものです。

韓慶堂の伝えた韓門武術は武壇の学生たちや他の山東人たちのとの交流によりさまざまに伝播しており、その一部は日本でも学ぶことが可能です。興味がある方はその筋をたどって韓慶堂の武術を探求してみてください。

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