程廷華は、中国清代の武術家です。八卦掌の創始者である董海川に師事した武術家であり、
程派八卦掌という体系を整理した董海川の有力な弟子のひとりです。
程廷華は八卦掌の創始者董海川の弟子として有名であり、師兄弟で尹派八卦掌を創始した尹福と双璧をなす名手と言われました。本日は程廷華について解説します。
程廷華の略歴
程廷華は(1848年-1900年)直隷省深県程家村に生まれました。程廷華は幼い頃より武術を好み、摔跤を得意としていました。程廷華は北京市内に眼鏡店を経営しており、武術界では『眼鏡程』と呼ばれていました。北京崇文門外花市四條にて眼鏡店を開業していました。
崇文門は北京の内城(北京城の北半分、紫禁城、官吏や朝廷関係者の居住地)と外城(北京城の南に拡張された部分、主に庶民が住む)の境界にある門です。前門の一つ東の門に当たります。
程廷華の系譜
董海川に師事し、数年の修行ののち、八卦掌の精妙を得、彼は教授を始めます。尹福が王府等の宮廷で技芸を教授し宮内派と言われたのに対し、程廷華は北京城中、城外にて八卦掌を指導したため宮外派或南城派とも言われます。
尹派八卦掌が王族の邸宅の警護する関係者に伝承されたのに対し、程廷華ががまとめた程派八卦掌は、市井に伝承されたため、民間に広く広まることになりました。また程廷華は形意拳の李存義をはじめ、他派と親交を結んだため、多くの武術家と交流が生まれ、それが八卦掌の伝承にも大きな役割を果たしました。
程廷華の最後
程廷華は、義和団の一員ではありませんでしたが、義和団の乱において、北京に進入した8か国連合軍との戦いに巻き込まれ、崇文門外の磁器口河泊廣胡同にて生涯を閉じたといいます。話によれば略奪を行うドイツ兵に我慢がならず対抗し、彼らに射殺されたとのことです。
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程派八卦掌の成立とその伝承
程廷華が整理した系統は後に程派八卦掌と呼ばれることになります。は息子の程有龍、程有信をはじめ孫禄堂など多くの門弟により伝承されています。
程派八卦掌の特徴
程派八卦掌は遊身八卦連環掌、柔身連環八卦掌等と言われ、掌を多用し淌泥步による歩法を行い龍爪掌を用いることが特徴です。
尹派と比較して動きがゆったりとしており、柔らかく、穿(抜き手)より掌打を多用する、また摔法(投げ技)への応用変化が多い、等の特徴があります。
これは程廷華に摔角のバックグラウンドがあったためとされており、龍爪掌という親指を広げた手形を用いるのも相手をつかみやすくするための工夫であるとされます。
尹派が比較的剛の風格を持つことに対し、程廷華の作り上げたシステムは柔らかく優雅で大きな動作が特徴です。
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程廷華の弟子たち
程廷華の指導を受けた者は極めて多く、有名な弟子では、有程有龍、程有信、程有功、程有生、李文彪、馮俊義、周玉祥、高義盛等がいます。
また、形意拳の李存義や、張占魁、孫祿堂等も程廷華の指導を受け、程廷華の技芸は、中国武術の発展に極めて大きな貢献をしています。
程派八卦掌は北京の外城を通じ市井に大きく普及し、当時の中国北方武術の名人たちと広く交流する中で広まったことに特徴があります。
程廷華のまとめ
今回は程廷華について解説しました。程廷華が継承し発展させた八卦掌はのちに程派八卦掌や連環八卦掌、柔身連環八卦掌などと言われ、程廷華の一族を中心に広く普及しました。
程廷華の名声は北京城だけにとどまらず河北天津一帯に広がり、程一族のみならず形意拳や太極拳を練る者をも魅了し、五行や八卦の理論とともに融合し、多くの武術家に伝わりました。
八卦掌は太極拳、形意拳と比較して練習人口が少なく、また理論も交渉で初級から重心移動を伴う流動的な運動をさせるため難易度が高い武術です。最も新しい部類の門派ですが、現在は世界各地に愛好者がいます。
愛好者の多くが程廷華の系譜を受け継いでいます。程廷華本人は義和団の乱の際、八か国連合軍中のドイツ軍との戦いで死を迎えてしまいますが、その技芸は多くの武術家を魅了しました。
程派八卦掌からはさらに様々な支派が生まれ、また他の門派の武術家も程派八卦掌を吸収或いは併修する者も少なくありません。
花垣武学研究会も程派八卦掌の系譜を継ぐ高義盛派八卦掌を伝承し今日に至っています。程派八卦掌は北京、天津地区や河北省を中心に山東省、台湾地区、香港にまで波及し、海外でも多くの愛好家が転掌を練り、功夫と精神を練っています。
摔法と打撃、そして養生と瞑想、中国伝統の自然の理の融合を見た八卦掌、程派八卦掌を多くの方が味わってに頂ければと思います。
このブログが皆さんの中国武術研鑽の参考になれば幸いです。