全世界に広く普及している楊氏太極拳、楊氏太極拳は簡化24式太極拳の元となった太極拳としても有名です。その楊氏太極拳を創始したのは、陳長興から陳一族門外不出の太極拳という名の武術を学んだ楊露禅です。
今回は、楊氏太極拳の創始者で楊無敵という通り名で呼ばれた太極拳の名人楊露禅について解説します。
楊露禅の生い立ち
楊露禅は1799年に直隷省(河北省)の永年県で生まれました。名は福魁、字は露禅であり、楊露禅は字です。楊家の祖籍は河北省永年県閻門寨ですが、のちに後に永年県広府鎮南関に移っています。
楊露禅は小さいことから武術を好みましたが家が貧しく買ったため、広平府の漢方薬剤店に奉公に出て生活していました。この薬剤店は陳家溝出身の陳徳瑚が開いたものでした。このころ陳氏太極拳の伝人である陳長興は陳德瑚の屋敷を借りて太極拳んを享受していました。
楊露禅は、陳長興が弟子を指導しているときには、傍らで見学し自身で練習をしたりしていました。当時は太極拳はまだ陳一族の中でしか伝承されておらず、覗き見ることも許されない時代でしたが、陳長興は彼の才能を見て陳一族ではない楊露禅に太極拳を教えました。
楊露禅は陳家溝にも何度も足を運び太極拳を積極的に吸収しました。当時はまだ外姓への伝授がはばかられる時代。苦労を重ねつつも正式拜師後18年にわたり太極拳を学び、陳氏太極拳の神髄を学びました。
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太極拳の伝授
楊露禅は太極拳を学び終えたのち、故郷の永年県に戻り太和堂という薬局を経営する傍ら楊班侯、楊健侯や武禹襄に武術を指導しました。その後武禹襄の推挙により北京でも太極拳を指導するようになりました。
「楊無敵」楊露禅
楊露禅が北京で太極拳を教えていたころ、張某という富豪の宴会に招かれたことがありました。他の武術家は体格が優れていたのに対し、楊露禅だけは痩せこけた体格だったため末席にしか座らせてもらえることができませんでした。ですが、何度か腕比べをしても楊露禅は負けることがなく連戦連勝を重ねました。
その後も彼のうわさを聞き付けた多くの武術家が楊露禅に挑むも彼に敵う者はなく、その強さは北京に知れ渡り、「楊無敵」の通り名が生まれました。
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清朝王侯、旗人への指導
北京での力比べで「楊無敵」の名が広まると、清朝の王侯である貝勒(清朝の官位)の中に楊の武術を学ぶものが現われました。
当時清朝の王族や大臣、貝勒などの貴族は華奢な暮らしの中で病弱で体力がない者が多く、上達しない者もいたため、彼らの体力を考慮し、陳氏太極拳の老架の中の一部の難解な動作をある程度改変し、動作を柔和にすることで、長袖と辮髪でも練習しやすい体系に改めました。
動きがゆっくりと大きく速度が均一で剛柔を含み、軽妙と沈重を兼ねる「太極小架子」という套路を伝えました。
楊露禅の太極拳とは
光緒帝の教師であった翁同龢が見たという楊露禅の武術は「楊進退神速、虚実莫測、身似猿猴、手如運球,猶太極渾円一體也」であったということです。つまり楊露禅の動作は非常に素早いものであったことが推測できます。
楊露禅の動作を表現する言葉として、「発勁は矢の如し」という言葉が伝えられています。
これは楊露禅自身の動きは緩慢なものではなく、その時々の戦況に応じてとても速い動作をしていたことの一つの証拠かもしれません。
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楊露禅の太極拳の伝播と発展
楊露禅の太極拳は息子の楊班侯、楊健侯や孫の楊澄甫に受け継がれ、修正が加えた楊氏太極拳、これが現在の楊氏(楊式)太極拳の原型になっています。この套路の風格の特徴は姿勢が大きくゆったりしており、速度が均一であり、剛と柔が内包され、軽妙と沈重が兼備されていることです。
楊氏太極拳はその後多くの支派を生んでいます。有名なものには、武禹襄の武氏太極拳、拳呉鑑泉の呉氏太極拳、常雲階の常式太極拳、鄭曼青の鄭子太極拳、李瑞東の李氏太極拳、熊養和の熊式太極拳などです。
楊露禅の系譜を受け継いだ人物
楊露禅の武術の系譜を受け継いだ人物には、王蘭亭、武禹襄、宋書銘、李亦畬、王茂斎、楊禹廷、楊班侯、李万成。楊健侯、楊少侯、楊澄甫等がいます。
楊露禅の功績
楊露禅は清朝高官らにも太極拳を指導したため、その拳技は資産階級の中で広く普及しました。また楊露禅の一族により太極拳はさらに発展し、世界に太極拳と中国武術が広まるきっかけを作りました。
現在多くの人に親しまれる二十四式は、楊式太極拳をもとに重複動作を排除し普及用に制定したものです。楊式太極拳にはほかにも楊露禅が編成した一〇八式や、孫である楊澄甫が改編した八十五式があります。
伝統中国武術を本格的に極めようと思えば相応の体力や骨格が求められ、体力や運動神経に恵まれない方へのハードルは高いものでした。楊式太極拳から派生した太極拳はその武術一般への参入ハードルを下げ、親しみやすいものにしたということでも画期的です。
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楊露禅のエピソード
楊露禅のもとにツバメが飛んできて、彼はそれを捕まえました。ツバメは楊露禅の手のひらから飛び立とうとするものの、ツバメは楊露禅が微妙に掌を上下させるのでどうしても飛び立つことができなかったという逸話があります。
楊露禅のまとめ
今回は楊氏太極拳の創始者であり、「楊無敵」の通り名を持った楊露禅について解説しました。楊露禅が創氏した楊氏太極拳、そしてそれをもとに作られた二十四式太極拳や楊式太極拳の套路の数々は中国武術を学びたいと思う人が始めに習うきっかけとしても大きな意味を持つようになっています。武術のすそ野をひろげるための大きな貢献を果たしたといえます。
楊露禅自身は楊無敵という通り名で言われる通り、技撃に優れ神速の勁を持つ名人であったことも事実だと思います。太極拳を練る際にはそれらを偲びながら功を練るように努めていきたいと思います。