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中国武術名人録 李洛能~形と意の結合 形意拳の開祖~

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本日は、形意拳を創始した李洛能という人物について解説します。李洛能は形意拳を興した中国武術家です。諱を飛羽、字は能然といい、武芸の超絶なところから、神拳李いう外号をも持っていました。

李洛能
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生い立ちと戴氏心意拳の習得

万里の長城万里の長城

李洛能は直隷省直隸省深県の出身です。幼いころから武術を好み、その後山西省大谷県で商売を行っていました。山西省祁县小韓村を訪れたとき、当地の戴隆邦に師事し戴氏心意拳を学んでいます。李洛能37歳の時です。

入門後2年に李洛能が習ったものはわずかに五行拳の劈拳と連環拳の半路の身であったと言われてますが、彼は戴龍邦の母親にも性格が誠実で実直であることを認められ、それもあり戴龍邦から心意拳の全伝を授けられていした。

そして、李洛能はその後技芸を磨き、47歳に全ての技芸を学び終えました。そのご李洛能は戴龍邦から独立を果たし、形意拳という拳種を創造しました。

形意拳の形成

万里の長城万里の長城

その後李洛能は太谷巨賈孟氏の宅院にて、護院(ボディーガード、用心棒)を行い、車永宏、宋世栄に指導を行った後、子息の李太和を伴い故郷の河北省深県に帰りました。

その後、深県にて劉奇蘭や郭雲深等の弟子たちに技芸を伝え、82歳にして椅子に坐したまま一笑し亡くなったと伝えられています。

形意拳の特徴

中国の夕暮れ中国の夕暮れ

李洛能がまとめた形意拳には、河北派、山西派という分派が起こります。これらは五行拳、十二形拳を核にするという点では一致しています。

また、弓歩、馬歩という中国北派の伝統的な基本姿勢を廃し、動きやすく実用的な三体式という姿勢を根幹に採用したことも革新的です。

戴氏心意拳では、胴体に近い部分、根節を使い攻撃を行いますが、形意拳では、梢節を相手に当てることで攻撃を行います。梢節を使うことで体重の投射は難しくなりますが、根節を使用するより胴体を傷めるリスクを少なくすることができます。また射程距離も伸びます。

また、招式では梢節を用いた形を練りますが、勁が通ればその形を応用して、どこからでも勁を発することができるようになります。

また形意拳は武術の技撃要素に、五行思想等を体系づけ、理論化したことでも価値があります。

形意拳のその後の系譜

中国の風景中国の風景

李洛能の形意拳はその後多くの名人を排出することになります。李洛能の弟子では劉奇蘭、郭雲深などが河北形意拳を広め、現在では、山西、河北における近代武術の雄として一大勢力を誇っています。

李洛能のまとめ

中国の風景中国の風景

李洛能は決して大昔の人物ではありませんが、彼が生きた時代は、現代から考えるとすでに100年以上が経過しており、現実の姿を捉えることは難しくなっています。但し、現代に伝わる名拳を創始したという点で功績は大きいです。

近代、とくに近代後期に名を轟かせた武術には河北の八極拳や北京の八卦掌、山東の螳螂拳などがありますが、形意拳も中国北方の名拳として南京中央国術館のカリキュラムに取り入れられ、のちに孫禄堂が創始する孫家拳の中核門派としても重要となりました。

八卦掌を練るものは形意拳も参考にしたものが多く、李存義の代には八卦掌の門人たちとも交流が生まれ互いに練磨しあう風潮が生まれました。この理由にはその時代の名師たちが八卦掌、形意拳の道理には相通じるものがあるということを認識し、敬意をもって交流をしたことがあげられると感じます。

五行拳のみならず、十二種類の生命体の勢を練る十二形拳、その他少数の套路を徹底的に練り絶大な勁力を練るとされる形意拳も、やはり兵器の身法を徒手に応用し一派をなしたと考えられます。

私は形意拳の元となったと言われる戴氏心意拳についてまだまだ勉強不足ですが、内家三拳の一つである形意拳の源流として研究の価値があると考えています。

郭雲深
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