中国武術名人録 PR

中国武術名人録 董海川~八卦掌 百練は一走に如かず~

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中国武術名人録シリーズを始めていきます。

第1弾として本日は、八卦掌を創始者とされる董海川について解説します。董海川の生涯、八卦掌を創始するに至った経緯については謎の部分が多く、現在でも武術研究家が様々な文献と物証、支派の技術的特徴から統合的な研究を行っている状態です。よって信憑性於いて確度が高くない情報も含まれますが、その点はご理解をお願いします。

董海川の生い立ち

北京の風景北京の風景

董海川は(1813年?1797年?)に直隸省文安縣朱家塢村人にて生まれました。基の名を董明魁と言います。家業は農家を営んでいましたが、幼い頃から武術を好み、各派の拳法や武器法を学び、性質は豪快で任侠心に富み、義を重んじたといいます。

董海川の父は、農業に従事していたとされ、また私塾の教師をしていたとも、武術家であったともいわれています。董海川は、四歳から学問を始め、学問を志し成長しました。

各地を遊歴し独自の拳を編み出す

北京の頤和園北京の頤和園

董海川は咸豊年間に安徽省等各地を渡り歩き、良師を求め、安徽省九華山にて、華澄霞(紅蓮長老)から技を学んだとされています。

八卦掌の術理、歩法には、道教の修行法との共通の理が見られますが、董海川がいつ、どこで誰に技芸を学んだのかについてははっきりしたことは分かっておらず、今後の研究が待たれます。

董海川が、南方の旅に出ていたのは、1851年~1861年頃だと言われており、この時期は、太平天国の乱など、反政府的な民衆の動きが盛んだった時期でもあります。時代背景から想像すれば、反朝廷活動に参画し朝廷からから追われる身であった者から武術を学んだ可能性もあります。

董海川は多くの武術を研究し、体系を確立し、自分の一派をたてるほどになりました。彼の弟子は多く、清朝末期には八卦門が広く知られるようになりました。

宦官になった理由の謎

紫禁城の壁紫禁城の壁

董海川が宦官となった理由については様々な憶測が飛び交っていますが、その中の主要な要因としては一説には

  • 何者かの追手から逃れるため
  • 八卦掌を練るにあたり、発生する性欲を断つため
  • 宮刑を受け宦官となった

等がありますが実際のところははっきりわかっていません。

粛王府の護院(用心棒、ボディーガード)となる

紫禁城と青空紫禁城と青空

董海川はその後、太監となり、肅王府(王は中国王朝における皇族の爵位、日本の親王に相当)にて警護の役につきます。後に粛王府から退官した後、武術を弟子に教えています。

王府というのは中国の王族が住む邸宅、或いは王族が執務を行う事務所といった意味があります。間違ってはいけないのでは王府は紫禁城ではないということです。日本で天皇と、皇室の一族である親王は別の存在であるのと同様に、中華の朝廷においても皇帝と王は別です。王(親王)は皇帝の臣下に当たります。

王府は紫禁城の周辺にあり、多くは紫禁城の西部分または西北部分に逢ったことが考えられます。王府は高い塀、格式のある門に守られ、そこには護院が置かれていました。

董海川のその後

秋の万里の長城秋の万里の長城

光緒八年(1882)董海川は長寿の生涯を閉じます。北京東直門外に葬られ、弟子たちにより碑が建てられました。文化大革命の時に紅衛兵の手により破壊された碑も後の八卦掌の伝承者たちにより再建されています。

董海川の弟子たち

万里の長城万里の長城

董海川に教えを受けた者は多数に上りますが、その中でも有名な弟師として、尹福、程廷華、馬維祺、等がいます。また他の門派で武名を上げた名人たちも董海川から技芸を学んでいます。形意拳の李存義、張占魁も董海川先生の門下です。

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八卦掌の伝承とその後

秋の北京の運河秋の北京の運河

八卦掌は、弟子たちの間で伝承され今日に至っています。八卦掌の特徴は、系譜により内容、風格が大きく異なる事です。推測されることとしては、

  • 董海川は八卦掌または転掌の基礎を築きそれを弟子に伝えたが、弟子たちに更なる発展を促した。
  • 董海川時代の八卦掌は円周上を回る走法やいくつかの換掌しかなく、後に弟子たちが切磋琢磨し技芸を発展させた。

等が考えられます。技芸の共通性、差異などは中国武術の研究家である康戈武氏の研究が詳しいです。

董海川のまとめ

今回は八卦掌の創始者と言われる海川について紹介しました。董海川は姿絵が残されており、宦官であったということが言われていますが、八卦掌を作り上げた経緯については謎に包まれています。

八卦掌の研究者の中には道士の修行方法からヒントを得て考案されたという説もあります。それ以前にも円周上を回る運動法は記録にもあり、それと技撃を組み合わせて武術体系を構成したのではと思われます。

私は海川の弟子であった程廷華という人物の系譜を受け継ぐ八卦掌を練習しています。董海川を初代とすると私の代で八卦掌は第六代となります。中国武術の中では最も後期に体系が整理された武術の一つです。八卦掌より新しい武術は意拳しか見当たらないというほどです。

八卦掌はそれまでの北派武術から様々な技芸を取り入れて成立しており、一般的な有酸素運動と同程度かやや良好な健康効果、そこそこの技撃性を持っています。

新しい武術のわりに謎が多く、海川の出自も含め今後の研究が待たれます。

程廷華
中国武術名人録 程廷華~八卦掌 龍爪掌と淌泥歩の精妙~程廷華は、中国清代の武術家です。八卦掌の創始者である董海川に師事した武術家であり、 程派八卦掌という体系を整理した董海川の有力な弟子の...
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