本日も忍術の心得が詰まっている「伊勢三郎義盛百首」という歌集の中にある歌について、いくつか解説をしたいと思います。
今回は伊勢三郎義盛忍び歌百首の中から「油断」に関する3首について説明します。
目次
武士はただ いつも丸手(まるで)をこのむべし身をくつろげてゆだんばしすな
現代語訳:武士である忍びのものはただ、動ける状態でいるようなことを好むべきである。身をくつろげて、油断をしてはならない。
解説:作戦行動中、任務遂行中の忍びは、いつでも動ける様心を保っておき、身を寛いで油断をしてしまってはならないと油断を戒めています。情報収集、広報攪乱のため、敵地に潜入している場合、敵方は防諜のため、潜入してくる密偵を警戒しています。
ふとした心の油断により、こちらの身分を晒してしまうことがあれば、任務遂行は頓挫してしまいます。任務遂行中は、緊張を完全には解かず、心の緩みに注意することが重要です。
身をくつろいでしまうと、心まで開放してしまい、つい油断の心が出てしまいます。敵地潜入中は常に任務遂行中であることを心にとどめて完全にリラックスした状態を作らないことが重要です。
密偵の場合は、手間をかけて作り上げた偽の出自、経歴、身分を持って敵地に潜入しています。完全に油断してしまうとそれらと本来の自分との間に矛盾が出てしまいます。母語が出てしまったり、生まれ育った環境でしかだすことがない所作が出てしまえば、危ういです。
何事も 心ひとつに きはまれり をのがこころに こころゆるすな
現代語訳:何ごとも、心の持ち様である。自分の心をしっかりもって、自分の心を許してはいけない。
解説:何事も心の持ち用でやり方は変わります。任務遂行、作戦行動について、目的をしっかり理解把握し、自分の怠惰な心を許してしまわないようにしましょう。小さな心のゆるみが失敗につながります。
昔、大陸に潜入している密偵で、現地の言葉、生活習慣を完全に習得し、現地の人間に紛れ込んでいた密偵がいました。ですが、手ぬぐいで顔をふく動作で彼が日本の間諜だと見つかってしまう例があったと聞きます。
大陸の人間は顔をふく際には、手をそのままにし、顔を動かしますが、日本人は顔を動かさず手拭いを動かします。このような詳細なところまで現地人に変装し、潜入している時には、心を許してしまうことはなおさら危険につながります。
手慣れた密偵でも気づかないところで油断し、現地人と異なるしぐさをしてしまえば一発であやしまれます。忍びは自分の心を鬼にして、自分の心が自分の心ではないことを当たり前にしなければならないほど厳しい仕事です。
日常会話ができるとか、ビジネスレベルの会話ができるといったレベルでは敵地潜入は全く務まりません。私たちも保育園や小学生の時にどんなテレビを見たか、どんなおもちゃで遊んだかという話題になったとき、全くその話題についていけない人がいたら、その人の出自を怪しむでしょう。
忍びはこのような場合にも適切な受け答えができるように、育ちの情報まで偽の身分を作らなければなりません。
まのまへに 敵のあるぞと 心得ば ゆだん(油断)の道は なからまじきを
現代語訳:間のまえに敵がいるものだと心得ておけば、油断してしまうようなことはないものである。
解説:常に一寸先に敵方が控えている、防諜を行うための組織がこちらを監視しているという風に心得ておけば、油断してしまうことはなかなかありません。八路軍の勢力範囲にある村落に入った場合には、八路軍とその協力組織は良民と区別がつかない服装をしているので、どれが八路軍でどれが一般人かを判断することは難しいものです。
それは、国民政府軍が八路軍が優勢な地域に足を踏み込んだ時も同様であり、八路軍や国府軍が日本の勢力圏内に入った場合も同様です。よって、周りのどこに敵がいるか分からないという状況を想定しておきましょう。そうすれば油断してしまわず失敗することも少ないはずです。
ウクライナとロシアの抗争においても、敵は正面にいるとは限らず、隊列を組んだ戦車の中にも一つだけ敵に鹵獲された戦車がまぎれているかもしれないという程度の警戒心を持つ必要があるということです。
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伊勢三郎義盛百首のまとめ
本日は、「伊勢三郎義盛百首」から「油断」に関する歌を抜粋し解説しました。忍びは油断をすることを戒めています。作戦行動中、敵地潜入中はどこに敵がひそみ、どのような防諜工作を行っているか分からないものです。
ここで油断をしてしまえば、一網打尽となります。心を張り詰め続ければそれはそれで疲れます。疲れは油断を誘発します。適切に休憩を取りながら、油断を怠らず、且つ自然なふるまいをしながら、現地の人間に溶け込める者こそが良い忍びです。