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忍術と火薬

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忍術、忍法と言えば、黒装束を着てドロンと姿を消す、そのような姿を思い描く方もいるかもしれません。実際にもこれが忍者の一般的なイメージです。

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室町末期に日本全国、特に畿内のいくさ場で活躍した伊賀衆が得意とした戦法は、城取り、つまり陣地攻略の他に、砲術、火術があります。火術とは具体的には陣地を混乱に陥れるための放火術のことです。

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放火の目的

火事の様子火事の様子

伊賀の忍びの衆が得意とした放火は手段です。目的は敵陣地の指揮系統を混乱させ、一般兵卒を浮き足立たせ、戦闘部隊による陣地攻略を容易にすることです。室町から戦国に於いて、如何に効率よく陣地の可燃物を燃焼させ、延焼させるかを研究していました。

これを行うには敵に偽装して敵陣地に潜入している者が、種火を用いて放火をすることもできますが、火薬を調合したり、火薬を湿気から守ったりする研究もおこなわれました。当然、火薬の調合および取扱いには科学の知識が必要であり、当時これらは最先端の科学技術でした。

萬川集海には城戸弥左衛門(音羽に城戸氏は多数在住)という物が、火縄銃で織田信長を狙撃したことが記されており、伊賀にも火縄銃が普及していたことを物語っています。火縄銃は当時比較的新しい武器であり、火薬の調合と合わせ、伊賀者は最先端の技術を保持し、日の本六十余から引手あまたの活躍をしたことが伺えます。

火術の効果

燃える木燃える木

火術には、可燃物で作られた構造物を延焼させるという効果の他に、煙幕で目くらましをする、轟音で敵と牛馬を驚かせる、味方の物音をカムフラージュする等の効果があります。

当時は木炭、硝石、硫黄などを調合した黒色火薬が使われていたでしょう。伊賀国の川東という集落にある澤村家には、火薬に関する伝書が残っていることから、江戸時代に於いても火術の研究は続けられていた形跡がみられます。

伊賀の忍びにとっての火術の意味合い

燃える木燃える木

伊賀の忍びがなぜ火術を用いたか、その理由は、諸国の合戦に戦忍びの派遣し報酬を得るためであり、そのためには火術という技術的優位性が必要であったからです。伊賀の旦那衆とその下人は、最新の技術を用いて、技術的アドバンテージを握り、専門技術を持った技術集団を派遣し報酬を得る、いわば技術集団でした。

現代の忍術研究における火術の立ち位置について

火事火事

現代の忍術研究において、500年前の忍術中の火薬技術の復元を試みるのであれば、これは、伊賀の忍びの感性から言えば全く不毛な行為といえます。伊賀の忍びの感性で火薬や放火を行うならば、最先端の技術を駆使することが当然であり、21世紀の現代において、木炭、硝石、硫黄を調合し黒色火薬を作るといった500年以上陳腐化したものを再現実験するのは滑稽以外の何物でもありません。

19世紀末にはすでに無煙火薬(黒色火薬と比較して発煙量が少ない火薬)が実用化されたため、20世紀初頭には、煙や煤が多く発生する黒色火薬は、完全に時代遅れとなっています。また、放火術、延焼を促進する技術についてに火炎放射器、焼夷弾、ナパーム弾などが数十年前に実用の域に達しています。

現代の諜報員が活動するフィールドに、かやぶき屋根と木造家屋は存在せず、それに対する放火技術を研究することは意味を為しません。また、爆薬を使用して破壊工作を行うのであれば、日露戦争の時点で厚いコンクリートと地下構造を持つ旅順要塞のような永久要塞の防御壁面やトーチカが実用化されており、これらや、鉄橋、コンクリート製の橋梁を爆破する威力を持つ爆発物を準備する必要があります。

花火程度の爆薬を鋳鉄や陶器製の容器に入れ、導火線で引火し爆発させる程度のものでは技術は宋代や元寇の時代にまで退行してしまい、当時の伊賀の旦那衆でもこれをやってしまえば、日本全国笑いの種、どこの合戦でも相手にされることは無かったでしょう。

火薬と爆破工作を研究するのであれば、最新のプラスチック爆弾、最新素材の爆薬と科学の知識を学習し研究すべきであり、これこそがまさに伊賀の忍術の感性です。

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忍術と火術のまとめ

爆発爆発

今回のブログでは、忍びと火術について解説しました。忍び、伊賀衆、忍者といえば、黒ずくめのいでたちで直刀を背負い、十字手裏剣を投げるようなイメージが先行していますが、文献を参照してみると、伊賀の忍びに於いては、火術、砲術、城取り、警備、情報収集に卓越した技術を持っていたことがうかがえる記述がみられます。

城取り、つまり陣地攻略においては、予め何気ない顔で敵方に紛れ込んだ忍びが、失火を装って敵をかく乱させ、そのすきに乗じて中からかんぬきをあけて戦闘部隊を引き入れるという方法が有効に機能したのでしょう。

忍術はこれらをあくまでの参照し、その時代その時代に最も適合した方法論で効率的な運用を行うことが必須です。

伊賀の忍術を指導する教室は日本全国いくつかあるようですが、伊賀の感性が指導され、報酬の為、日銭の為に全国を駆け巡った伊賀の忍びの心意気が広まることを、私は切に希望しています。

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