忍びは音もなく形もなくただけぶりの末のようにあるべきです。忍者は後世にできた造語であるため、当ブログでは忍びという用語を用います。
忍者は忍者であることを誰にも知られてはならないという大原則があります。本日は忍者、忍術研究家等の定義、違いについて解説します。
忍者研究家
忍術研究家とは忍者の生活や成り立ち、忍者の歴史、忍者像を文字通り「研究する」人のことです。自身は忍者ではなく、忍術ができるわけでもありません。殆どの方は歴史研究家、郷土史研究家との境目があいまいな活動をされていますが、なかには学術的に忍者を研究している方もいます。
主な活動としては室町期、戦国期、江戸期の忍者の資料や痕跡を収集しそれを研究している方が多いようです。忍者、つまり忍びが活動してた資料には考証的価値がある物が少ないため資料収集は困難を極めます。
特に伊賀地区の場合、天正伊賀乱により天正期以前の歴史的資料の多くの遺失しています。このため伊賀国内には中世期の国人の活動を示す資料がなく、多くは江戸初期にまとめられた資料、または東大寺などの他国にまとめられていた資料しか残っていません。
中世史研究を代表する有名な題材である「黒田の悪党」の歴史的資料は奈良東大寺の記録によるものであり、伊賀国内にはほとんど残っていません。研究者の中にも黒田の悪党の本拠地を現在の黒田地区と勘違いして訪れる方もいるほどです。
畿内、近国の忍者、忍びは伊賀国だけに存在していたのではないため、伊賀国と甲賀郡は文化的にも方言も連続体として連なっているので、これらの研究を行うには伊賀国でだけではなく、近江国甲賀郡等の資料も参照するのが良いと思います。
忍術研究家
忍術研究家とは、「忍術」という技術を研究する大家です。文献や古文書、伝承を頼りに忍術が使っていた技術つまり忍術を「研究」し技術を再現を試みたりします。
室町、戦国、江戸時代初期に存在した忍者が扱った忍術を研究しますが、本人は忍術自体を生業にすることはなく、あくまで研究に終始します。
多くは忍術研究家の方がやられている方法としては、忍術書に書かれている忍具を実際に制作し実用性を確かめる等の方法を取られている方が多いようです。伊賀国に伝来する忍術書として最も有名な物は万川集海ですが万川集海は江戸時代初期にまとめられたものであり、戦国時代を生き延びた忍びたちから聞き取りを行い、藤林保武という郷士がまとめあげたものとされています。
忍術書に記載されている忍具には実用性に疑問がある物も多く、ほとんどの物は現代においては役に立たないか、500年以上陳腐化してしまったものです。当時としてはなかなかの珍アイデアや発明品が記載されています。
戦国当時の忍術がどんなものであったかを書物や挿絵をもとに考えるということは結構なことだと思います。但し、十字手裏剣や忍び刀のようないわゆる忍具が伊賀国の忍家には残っていないことについて、ここでは一言申し上げておきます。
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忍びとは
忍者とは後世の造語で当時の名称は忍びです。情報収集のスペシャリストです。域外からの軍閥や諸侯、有力者、組織からの要請により諜報活動に従事します。特別な要請がある場合には、警備、警護任務、陣地攻略、後方錯乱などの戦忍びにも出征することはありますが、本職は敵陣や仮想敵国やその周辺で情報収集することです。
忍者、忍びは誰にも本当の姿を明かさないので誰もその人を忍者と思うこともありません。
伊賀地区以外の忍びのことはあまり存じ上げないのでコメントは控えますが、伊賀の忍びはその時代の最先端でかつ最高の技術を取り扱うことで諸国のエージェントから高い評価を受けてきたという歴史的経緯があります。
本物の伊賀の忍びは500年間も陳腐化した技術や忍び道具を見せびらかすことはありません。
まとめ
忍者研究家、忍術研究家、忍者評論家は忍者や忍術自体を研究することを主とした活動内容としており彼らは忍びではありません。ですからほとんどの忍術研究家は忍者を名乗ってはいないはずです。現実にこれらの活動をしている人は伊賀の忍びの感性から言えば忍びではありません。
伊賀の忍びの技術体系は、諸国に戦がなくなり、情報収集や密偵のニーズがなくなったことにより衰退してしまい伝承されていません。なぜニーズがなくなると伝承されなくなるのか、その答えは簡単です。生計を立てられないからです。傭兵稼業、諜報員派遣業という士ビジネスが成立しなくなったからです。
ただ、忍びは人目につかず、人の心の闇にまぎれて煙の末の如く立ち回っているかもしれません。あなたが全く気が付かないところで、音もなく、匂いもなく、形もない、ただ煙の末の如く、誰からも本性と本来の身分、任務を知られることなく、情報収集を行っているかもしれません。
あなたの隣にも伊賀の忍びがいるかもしれません。これを考える事のロマン自体は私は否定するものではありません。