本日も忍術の心得が詰まっている「伊勢三郎義盛百首」という歌集の中にある歌について、いくつか解説をしたいと思います。
今回は伊勢三郎義盛忍び歌百首の中から「番所」に関する4首について説明します。
目次
番所などに こつじき・ひにん 来(きた)りなば あらくもてなし 追ひかへすべし
現代語訳:番所などに、乞食・ひにんが来たならば、手荒くもてなして追い返すべきである。
解説:番所で警備任務を行っている際、乞食や非人が来た場合は、追い返しましょう。なぜかといえば、乞食に変装するということは忍びの常とう手段であるからです。
忍びは自身もときとして乞食、身体障害者に化けることがあり、そのためにこれらの変装が、敵方に警戒感を緩ませることにつながることを熟知しています。よって間違っても彼らを陣地内に引き入れたり、また丁寧に扱うことがあってはなりません。戦時に乞食や身体障害者を丁寧に取り扱うことは警備体制を緩ませてしまう原因になります。
忍びは時として2人一組で行動し、一人が門の前で敵方の下人の意識を集中しているうちに、もう一方が潜入するという方法を用います。また忍びは乞食のような、社会的弱者を装い警戒心を緩ませることを自分の技術として持っていることから、これに配慮する意味でも、乞食などが近づいてきた場合には最新の注意をする必要が認められます。
番所にて 心のよはき 人はただ ふかくをとらん もとゐなるべし
現代語訳:番所などで、心の弱い者であったなら、人はただ、不覚なことをとってしまうもとである
解説:番所や詰所で警備にあたる際、意志が弱い物がそれを行う場合、不覚なことを行ってしまう可能性が高くなります。よって歩哨、詰所での警備業務を任ずる忍びには、意志の強い者を指名することが必要です。
忍びはクライアントからの業務委託をうけ、情報収集、警備業務、陣地の強襲のサポートなどを行います。業務の失敗は信用の失墜につながり、旦那衆にとって次の業務提携が難しくなるからです。
精神論に頼りすぎるはあまり好ましくないことですが、意志薄弱な者と強い動機と目的意識を持った者とでは過程や結果に差異が発生することはあり得ます。
また伊賀国内では「げなげな話」により情報の伝達は一瞬にして行われますのでさらに注意が必要です。
他国より くる人ならば しんるいも 番所に近く 寄すべからざる
現代語訳:他の国から来る人ならば、たとえ親類でも、番所の近くには寄らせてはならない。
解説:他国から来る者は、たとえ内部の人間の親族であっても番所や陣地の近くに近寄らせてはいけません。機密情報の漏えい、防諜という観点から絶対に避けなければならないことです。
伊賀の家庭では、「人を見たら盗人と思え」ということを教えられますが、忍びは近い親族に対しても完全な信用を置いてはいけないことがここに記載されています。
人を信用せず、人を心から信用しているように見せかけ、人からは信用され、親近感を持たれ、懐かせるようにし、こちらの手の平の上で操れるようにすることが忍びの技の極意です。
番所にて しきりにねむく なるならば こともあるべきと 用心をせよ
現代語訳:番所で、しきりにねむくなるならば、何か事件ががあるかもしれないと、用心をすること。
解説:番所で警備を行っている際、しきりに疲れ、眠気が襲う場合、その時こそ注意をしなければならないということを語っています。
間諜、密偵、部隊が強襲を行ってくるのは、こちらが最も警備が手薄で疲労している時間帯です。時間としては深夜の時刻や、雨、風の強い日、月がなく暗い夜等です。これらの時間帯、タイミングは特に警備を厚くする必要があるでしょう。
また異様に眠くなる、疲れる、等の症状が現れた場合、歩哨、警備中に口にしたものに何かが含まれている可能性も考慮に入れる必要があります。または風上から何か有害物質や毒ガスが散布され、それによる影響が体調に変化を及ぼしている可能性も検討すべきです。それらすべてが敵陣の計略であることを念頭にいれるということを忘れてはなりません。
伊勢義盛忍び歌百首のまとめ
本日は、「伊勢三郎義盛百首」から「番所」に関する歌を抜粋し解説しました。忍び歌百首には、陣地への夜討ちという攻撃方の注意点もあれば、警備、防御側の注意点も記載されています。どちらも参考にすれば、忍びとして隙がなくなりカバー範囲が広がるでしょう。
仕事をそつなくこなせば、世間での伊賀侍の評価は上がります。諸侯はより高い報酬で伊賀物を雇うことになるでしょう。仕事をこなし成果を持って里に帰れば、雇い元の旦那からの評価され、次回からより重要な任務、大きな仕事、より報酬単価が高い仕事を回してもらえるようになるかもしれません。