忍びがやるべきこと、それは黒ずくめの服をきて手裏剣をシュシュっと投げたり、刀で人を殺したりすることではありません。忍びの業務とは、各地を渡り歩き、情報収集を行い、それを報告したり、時には風説を流布して住民に偽の情報を流したり、煽動をすることです。
忍びは自分の本来の姿をカムフラージュする必要があり、そのためには方言を自由に操ることが必須の技術となります。西国、九州等に潜入し情報収集を行う際には、その地方の言葉を聞き取れなければならず、また関八州関東や東北で任務を行うときにも同様です。
伊賀国の方言について
伊賀の方言は近畿方言の内、中近畿方言に属し、現在は京阪式アクセントです。その中でも伊賀北部は南山城地区の方言と共通性が多く、伊賀南部の方言は宇多地区との共通性が見られます。これは文化の伝播の道とも関連性があります。
伊賀の標準的方言は、旧上野町の方言とされます。江戸時代の伊賀国の中心は、上野城とその南の城下町であったからです。そこは宿場町であり、藤堂藩の藩校があり、上野城には藤堂藩の支庁が置かれており、城下に住む藤堂藩士、または在地に居住する無足人(苗字帯刀を許された旧土豪、旦那衆、庄屋を兼ねる家多数)の子弟は藩校である崇高堂で学問を学ぶことができました。
伊賀の方言や文化は現在も大阪よりも京都と京都府南部の影響を強く受けています。関西圏以外の方からすれば、伊賀の在所の人か、京都府南部の人か、滋賀県南部の人か、奈良県北東部の人かの区別をつけることは非常に難しいと思います。
戦国期に於いても山城国の田舎侍と伊賀の旦那衆を見分けることは非常に難しかったでしょう。この特性を活用すれば、伊賀者が京都の市中に潜伏し、身分を偽り情報収集を行うことは容易であったと考えられます。
遠国での情報収集
方言の異なる地域、例えば、加太峠より東の伊勢国~関東~東北まで、摂津国より西方ではイントネーションが異なり、現地人に紛れ込むにはやや手間がかかります。但し伊賀の忍びは任務である以上様々な方言を習得し、自分でも操り、在地の人間の中に溶け込み、相手の猜疑心を解きほぐしながら巧妙に情報を収集したりしていたことでしょう。
遠い地方に赴き、方言の習得が困難極まる場合、例えば九州や東北などです。この場合には、伊賀以外の人間に化けることが行われた考えることが普通です。「伊勢から来た」、「近江から来た」「大坂から商売に来た」等と言えば、世情に疎い地方の田舎者には通用したはずです。
このように忍術を操る、という定義の中には方言を習得することは必須の技術です。
近代における言語習得の必要性
他の記事でも紹介している通り、伊賀の忍術というものは、最先端の技術を駆使することにより優位性を発揮し、他国から引手あまたの扱いを受けてきました。これは伊賀忍術を志す者はその時勢に応じた最先端の技術を習得しなければ、伊賀忍びの心意気に合致したことをしていないことを意味します。
近代において、日本の仮想敵国は一貫して北方の大国ロシア(ソ連)であり、ロシアとの緩衝地帯である中国東北部、朝鮮半島でも諜報活動、情報収集活動が求められました。近代においても情報収集を行うにおいても言葉、方言の重要性は変わらず、ロシア語、中国語、英語の習得は必須であり、後に設立される陸軍中野学校においても外国語は非常に重視され授業も行われていました。
また日本に限らず、標準的な外国語を習得しただけは情報収集と防諜活動は行うことができません。なぜならば、作戦遂行を行う地域の住民が標準的な言葉を使うとは限らないからです。よって標準的な外国語の他にそれに付随する地方の方言も習得し、自由自在に操る必要があります。
中国語に話を移すと、中国での作戦行動地域で話される方言にも北京官話を主とした北京語や河北方言、遼東半島で話される膠遼方言、東北方言等様々な方言があり、東北部ではさらにモンゴル系諸部族、満州族をはじめとするツングース系諸部族、朝鮮族などの少数民族も混住する地域でもあります。
第二次世界大戦終了前まで、東北部には、ロシア革命を逃れた白系ロシア人も多数居住しており、日本は彼らを懐柔活用し、シベリア地区や沿海州の情報収集をしようとし、ソ連も同じく東北部在住の白系ロシア人を利用して、関東軍と旧満州国の動向を探る尖兵としようとしていました。
ソ連側の密偵にも日本語と中国語をよく操る人間はいたでしょうし、当然日本でも語学堪能な人材の育成に努めるか、現地人をスカウトするか、商売やビジネスで語学が堪能な、商社の駐在員、満鉄職員、シンクタンク勤務者、国策企業従業員等の人材を活用し、情報収集と防諜に当てていました。
現代の状況
冷戦が崩壊した現代においては、大国同士の大規模戦闘が起こる可能性は下がっていますが、地域紛争、小規模戦闘が起こる地域はまだ存在しており、その現地言語を習得し自由に操り、現地人に扮し、情報収集を行ったり、民心獲得を行うというニーズは衰えていません。これも過去の事例と同じく標準的な言葉を教科書と音声教材で学んだだけでは全く使い物にならず、現地の最新の状況を踏まえた実用的な言語の習得は必要です。
日本に諜報員を多り込んでいるとされる国家においても、日本語の教師を招聘したり、様々な方法で生の日本語を習得しようと努力していると聞いたことがあります。
まとめ
忍術は情報収集の技術であり、そのためには方言や語学の習得は欠かすことができません。
忍術と言っても日本全国には様々な忍術の流派があったらしく、伊賀甲賀の忍術だけが忍術を代表していると言うことはできませんが、少なくとも日本を代表する忍術である伊賀の忍びの技術に於いては、方言を自由自在に操るということは必須の技術であったでしょう。
ここで、現代忍術を研究されていたり、忍術という名の体術を指導されている方が、方言や語学の習得について何も言及しないことについて私は非常に不思議な気持ちでこれを観察させて頂いております。
本日のブログを通じて、忍術という名の体術を嗜まれる方々が、忍術≠体術では全くなく、忍術の心意気というものを、方言、語学という面からもう一度考え直していただくことへの
一助になれば幸いです。